景色がだいぶ変わった
最近、会社で週に1回ほどAIに関する勉強会が開かれています。開発をを支援するAIや動画・アニメーションを生成するAIなどについて、すべての部署のメンバーが全員参加で勉強しています。ほとんど知らなかったことばかり学んでいるのですが、数年前とは見える景色がだいぶ変わったと思っています。
2年ほど前は生成AI元年と言われていました。当時、確かに自然言語における領域では革新的であったと思います。自然言語のAI生成によってアイディア出し、壁打ち、キャッチコピーを考える、単純なテキストを生成してもらう、簡単なWebサイトを作るなど、これまでの業務を大きく改善しました。
かゆいところに手が届かないレベル
一方、当時テキスト以外の生成においては様々な面で難がありました。「かゆいところに手が届かないから、結局自分たちでやったほうがいい」とか「何が出てくるかわからなくて面白い」くらいのものであったと思います。しかし、それもわずか数年で、画像生成や動画生成においてもビジネスで使えるレベルになってきています。
自身の案件においてもそう思うことがありました。お客さんから「現状のAIでは、かゆいところに手が届かないから届くように補助的にシステム開発もしよう」と言われたのです。それから数か月仕様をまとめる作業をしていたのですが、その間にAIがやりたいことを実現してしまっていることがありました。「お客さんには開発着手しなくてよかった!」と言われました。
かゆいところに手が届くレベル
勉強会で学んだ開発をサポートするAIは「ジュニアエンジニアレベルを数名部下で抱えている」レベルのものでした。つまり、AIがプロジェクトのファイル全体を見て複数名規模でコーディングできるレベルになっているということです。エンジニアはコードをレビューする役割になると言われています。これはエンジニアを目指す人にとって朗報なのか危機なのかわからないところでもあります。
これはエンジニアにかぎりません。画像・動画生成、資料作成、デザイン、ライティングにしても、AIがかなりクオリティーの高いアウトプットを高速で出すので単純に喜んでいいのかわからない複雑な気持ちになります。
答え合わせは数年後
僕は現時点ではAIを脅威とみなすのではなく、AIを使う側に回ることこそが重要だと思っています。しかし、これも正しいがどうかわかりません。これは数年後にわかることです。なぜなら、AIを使うことで本当に自分で考えることがなくなったからです。中国語ですら、面倒なので自分で書かずに生成させてしまうほどです。
この答えも数年後にはわかると思います。