そこにイエスはおられるかを問い直す | 自己中心性を照らす視点
そこに肉はあるんか 道を歩いている時にこのような名称の飲食店を見かけました。それは「そこに肉はあるんか」というものでした。しばらくしてからわかったのですが、これは何か流行のパロディーのようです。「そこに愛はあるんか」のよ…
キリスト教信仰
そこに肉はあるんか 道を歩いている時にこのような名称の飲食店を見かけました。それは「そこに肉はあるんか」というものでした。しばらくしてからわかったのですが、これは何か流行のパロディーのようです。「そこに愛はあるんか」のよ…
キリスト教信仰
悲しみのあまり死ぬほど 先日、聖書を読んでいて心に迫る御言がありました。それはこの御言です。 マタイによる福音書 26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一…
キリスト教信仰
イタイおじさん 僕は自分がこのような人間であることを知っています。それは人を裁き、差別し、人を赦さず、人を妬み嫉み、不平不満を周りに言うような人間であるということです。少しでも油断すれば僕の心にはそういったことが溢れてく…
キリスト教信仰
主に栄光を返す 以前も書いた記憶がありますが、だいぶ昔にこのようなことをX(旧Twitter)で見たことがあります。ちなみに、僕にとってX界隈のクリスチャンコミュニティーは百害あって一利なしだったので、今は全くやっていま…
キリスト教信仰
自分のほうに引き戻していく 昨日は「主に明け渡す」過程が救われる過程と全く同じであることを書きました。僕は救われた時、確かに明け渡すことを知っていました。「主がいなければ私は生きることはできない」や「主こそが私の幸いであ…
キリスト教信仰
明け渡す過程 昨日はどのような過程を経て主に明け渡すことを学び、今も学び続けていることを書きました。明け渡す過程で僕が経験したのは下記のようなものでした。実はこの過程は信仰に入る時と同じ心の変化だと気づきます。 抵抗(い…
キリスト教信仰
主に明け渡す ここ数年、僕の中の課題は「主に委ねる」や「主に明け渡す」ということでした。それは何も持っていなかった救われた当時は当たり前のようにできていたことなのに、大人になった今は全くできなくなっていることに課題を感じ…
キリスト教信仰
霊の目で見る 昨日は自分が属している教会で教区の聖会がもたれました。毎年開催されていますが、昨年はインフルエンザで寝込んだため参加できていませんでした。ですので今年は2年ぶりの参加となります。 1019_教区の新年聖会に…
キリスト教信仰
御言に立つ 僕は若かった頃、教会のいかんによって自分が恵まれるかどうかが変わると間違って理解していました。ある教会では恵まれるがある教会では恵まれないとかそんなことを思っていたのです。しかし、今はそんなことは思っていませ…
生き方
当たり前の原則 昨日は早起きよりも早寝に注力したほうがうまくいくということを書きました。それには他にも多くのメリットがあります。それは一つの原則に基づいています。それは、「何かを選択すれば何かを捨てることになる」という当…
生き方
より大きなメリット 今年は早寝早起きにチャレンジしています。そのメリットデメリットは下記に書きました。 1752_早寝早起きのメリットとデメリット チャレンジする中で、より大きなメリットを感じるようになりましたので、今日…
キリスト教信仰
主に取り扱って頂かないといけない領域 僕は以前は「主に近づきたい」や「主と共に生きていくんだ」と決意するだけで自分が変わると思っていました。しかし、実際はそれだけでは決して変わらないことに気づきました。そしてそう決意して…