0517_クリスチャンが働く意味

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何のために生きるか?

スクエアゲームと言われる生き方があります。寮、会社、牛丼屋、コンビニの4つの場所だけを毎日移動して、30日経つとポイントが付与されるというゲームです。そして180日経つと、少し多めのボーナス的なポイントが付与される。そんな単純なゲームです。

そんな生き方あり得ないと思っていても、自分の人生を顧みると非常に固定的になっているので、他人事じゃない気がしています。何のために生きるのか?何のために働くのか?という問いは何歳になっても重要だと思わされました。

何のために働くか?

僕はイエス様に魂を救って頂く前は非常に無頼的な世界観をもっていたので、何のために生きるか?どころかそもそも働きたくもないし、楽して生きたいと思っていました。今でいうと、ベーシックインカムみたいなものをもらって、贅沢ではなくても毎日ストレスのない日々を過ごしたいと願っていました。

そこで、イエス様に出会ったらどうなったかというと、この地上での目的を明確にもらいました。それは決して教会活動や布教活動だけではありません。経済活動においても生きがいを頂けたのです。

経済活動に参加することについて

ともすれば、クリスチャンは教会活動や教会内での奉仕や布教活動だけが神様に喜ばれるものだと勘違いしてしまう危険性があると思います。僕自身がよくそう思っています。しかし、イエス様の生き方は天の父に仕えるように罪人である人々に仕える生き方でした。30歳からの公の生涯を見ると、布教活動しか見えないかもしれません。しかし、イエス様も30歳までは普通に大工の仕事をしていたのです。それは経済活動をされていたということです。

言い伝えによると、父ヨセフは早くして亡くなったそうで、長男であるイエス様が早くから働きに出て、家族を支えたとということは想像に難くありません。

イエス様が共におられるなら

今やっている仕事が福音宣教のために何の役に立つものか!と思っていたとしても、仕事を通して人々に仕えることを神様は望んでおられると思っています。さらに言えば、その仕事での人間関係や能力やスキルなどが福音宣教に大いに用いられる可能性もあります。むしろその可能性のほうが大きいと思っています。

願わくは、ずっとイエス様を賛美して生きたいです。しかし、今参加している経済活動にもイエス様が共におられるなら、喜ばれるものだと信じて働いていきたいです。

おっさん
■イエス様が共におられるからこそ経済活動にも参加できる

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