情緒不安定なおっさんが涙した時 | いつも思っていなさい

やらないといけない

僕はこのブログで平日に自らの意思で能動的、主体的に主を求める姿勢こそが大事であると鼻息荒く書いてきました。なぜ、こんなにも鼻息が荒いのでしょうか。それは僕自身が意志薄弱で日常の引力に安きに流されやすいからです。

だからブログを書くときは自分を鼓舞するように書いています。しかし、その一方でこのような側面もあります。それは肩に力が入りすぎるという点です。信仰において中庸は大切ですが、どうしても「やらないといけない」となり完全なる律法主義とはいわなくても、そっちに寄っていってしまう懸念も自覚しています。

いつも思っていなさい

最近、特にそのことを感じています。それは僕自身がガチガチのデボーションの時間を組んでいるからです。時にもっと自由に、もっと気楽に、もっとゆっくりできたらいいなと思うことがあります。そんなことを考えていた時にこの御言を思い出しました。

この記事とつながる読みもの

テモテへの第二の手紙 2:8
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。

僕はこの御言を読んで、肩の荷が下りた気がしました。正直ほっとしたのです。おそらく、パウロほど自分に厳しくストイックにイエス様に従っていった人物はいないのではないかと思います。もちろん、聖書にある彼の言葉には厳しいものがありますが、いつもオラオラ系ではないのです。

肩から荷が下りた

「イエス様のことを思う」

僕は情緒が不安定なのかもしれませんが、この言葉を思っただけで涙が出てきてしまったのです。そして、この御言を思い出しました。文字通り肩から荷が下りたのです。

マタイによる福音書 11:28-30
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

ぼくのこと

改めて思います。僕がしていることにはほとんど価値はありません。しかし、そうであってもイエス様は「僕がしていること」よりも「ぼくのこと」を思ってくださっています。だから僕もイエス様のことを思います。

その時に、感謝、喜び、平安が心に溢れます。

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