1937_クリスチャン生活は感謝、愛、喜び、平安に満ちている | その前にあるもの

クリスチャン生活について

クリスチャンの皆さんは自身のクリスチャン生活についてどう考えておられるでしょうか。おそらく、感謝、平安、安心、安全、恵まれている、神様の愛に満ち溢れている、といった言葉が出てくるのではないでしょうか。

それはイエス様の十字架による滅びから命へという聖書の御言が霊的に実体と力をもっており、現実ものとして体験することで自身の魂に刻まれているからだと思います。主が灯してくださった救いの火がは消えそうになることがあっても主が守り続けてくださるから感謝です。

命の言が霊的な実体をもっている

キリスト教信仰は決してありがたい教えや教義では終わりません。「イイハナシダナー」や「あの人はいいよね。。」で終わることがありません。信仰を持って御言に向き合っていくなら、その御言を体験させてくださいます。

それは命の言が霊的な実体をもっているからです。それは生きていて、僕たちの中に命を吹き込み、力を与え、希望、力、喜び、その他あらゆる良いよい送り物を与えてくださいます。

逆説の人生

しかし、こういった表現だけでクリスチャン生活を表現できるわけではないことも事実です。なぜなら、クリスチャン生活はキリストの苦しみに与ることによって、逆に喜びや感謝にあずかるという逆説の人生だからです。イエス様は山上の垂訓でその真理をはっきりと語ってくださいました。

マタイによる福音書 5:3-4
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

しかし、人間の頭では通常、その逆説を受け入れることができません。僕たちの肉は「イエス様の生き方は損だ」と判断するのです。この肉を御言と聖霊によって服従させることがクリスチャン生活の要だと思っています。

これは肉と霊との葛藤です。僕はこの言葉を表す英語の音が好きです。英語ではstruggleと言いますが「奮闘する」「苦闘する」「もがく」「争う」「闘争」「戦い」「苦闘」「取っ組み合い」と言う意味があります。

確かにクリスチャン生活は感謝、愛、恵み、祝福に満ちたものです。しかし、その前には必ずstruggleがあるものです。パウロが書いた手紙にも苦闘すると言った表現が多くあります。

コロサイ人への手紙 1:29
わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである。

クリスチャン生活で苦闘や努力というと修行や律法主義のような印象も与えることもありますが、主にあって奮闘したいと願っています。

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