心の内におられる聖霊
先日、あわや自己中心性が爆発しそうになることがありました。物事を進める上で意見の相違があったのです。僕自身としては、これまで所属してきた複数の組織でもそのようにしてきたし、他のメンバーに聞いても賛同されるから、自分が考える方法が客観的に正しいと思っていました。
しかし、僕はぐっとこらえることになりました。ぐっとこらえることにしたのではなく、こらえることになったのです。それは、心の内におられる聖霊がそのようにすべきだと導いているよう感じたからです。
私が導くかどうか
僕はその聖霊の戒めの声を聞くまでは、相手に対して「そんなやり方ありえへんやろ!どんな頭してんねん!」と思っていました。そして、それをメッセージで伝えようとしてメッセージまで作成していたのです。しかし、聖霊の戒めは送信ボタンを押下することではなく、それを全部消すことでした。
そして、このような語りかけがあったように思います。
「自分の意見を通すことがそんなに気持ちいいですか?方法は関係ありません。私が導くかどうかです。」
控えめに言って奇跡
そして、その御声に耳を傾けた時、イエス様が「嵐よ、静まれ」とおっしゃったように、僕の心で荒波立っていた感情が静まっていくのを感じました。また、相手に対しての批判的、かつネガティブな思いは完全に消失し、「よし!協力しよう!」というポジティブな気持ちになったのです。
僕はこれは控えめに言って奇跡だと思いました。もちろん、主がおられることを特別に客観的に示される、誰に目にも明らかな奇跡とは違います。ただ僕と神様だけが知っている奇跡です。僕は主は生きておられ、聖霊の導きは確かだと改めて思わされました。
わたしのうちに生きておられる
このように僕は激昂型で、自分の意見を通したがる非常に難儀でイタイ人間です。しかし、希望があります。それは自分を否定して聖霊の導きに声を傾けることを繰り返し、それが習慣化される時に下記御言が現実となることを知っているからです。
ガラテヤ人への手紙 2:20
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
かつて雷の子と呼ばれたヨハネは愛の人に変えられました。その同じ主を信じる僕もその恵みに与りたいと切に祈っています。












