0464_参院選挙は右の頬を打たれたら、ほかの頬をも向けてやれる人へ投票

政党の公約

参院選挙が間近に迫っています。Webサイトなどで各政党の公約を分野別に見ていますが、分野によってはどこも似たり寄ったりでした。センシティブなテーマに関してはどの政党も自由主義的な側面が強く、より多くの票を獲得したいというような思惑しか垣間見れません。

他の政党と差別化が図られている政策などもありますが、いかんせん、実行されるかどうかは全く別の話なのです。ここなら10%くらいは自分の政治思想と一致しているかなと思って決めようとしても、候補者によって思想の揺れがあるので、こんな考えの人がいる政党は支持したくないと思ってしまったり、本当に意思決定が難しいです。

最も信頼できる人は、選挙に立候補する以前から、言行が一致している人でしょう。この人は有言実行。必ずやってくれるという人だと思います。ただ、これも人が変わらないということが前提になっています。

有言実行の人

約2000年前にイエス・キリストは神の子として、この地上に来てくださいましたが、このお方こそが言行一致、有言実行のお方だったのです。イエス様は福音書で過去の教えにとらわれずにかなり先鋭的な教えを説いておられます。「兄弟に向かって怒る人は裁判に引き渡されないとけない」や「情欲を抱いて女性を見るものはすでに心の中で姦淫をした」や「右の頬を叩かれたら、左の頬も差し出しなさい」といった具合でした。

もし、イエス様が有言実行、言行一致じゃなければ、ただのペテン師で終わっていたことでしょう。しかし、当時の民衆はこのイエス様に「神」を見たのです。人間なら怒ることは避けられない、男性は女性を情欲を持って見てしまう。叩かれたら仕返ししたくなる。それが人間だ。しかし、この御方は人間とは違う。つまりイエス様こそが救い主であり、神であると信じざるを得なくなってしまったのです。

神対応

事実、イエス様は、十字架での処刑において、暴言を吐かれても、暴力をふられても、裏切られても、怒りを表すことなく、呪ったり、縁をきったりされることはありませんでした。かえって、そういった人たちに対して哀れみの心を表し続けられました。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
マタイ23:34

そして、イエス様の十字架での様子をずっと見ていたローマの兵士の長は最後にこういうのです。

「ほんとうに、この人は正しい人であった」
マタイ23:47

イエス様の言行に「神」を見たのです。もし、イエス・キリストがただの人であり、2000年前に生きた歴史の人であるならば、こういったエピソードは虚しく響くかもしれません。しかし、イエス様は神の子であり、復活し、現代を生きる僕たちに今もなお、働きかけてくださっているのです。もし霊の心でイエス様を見るなら、当時の群衆やローマの兵長のようにイエス様に「神」を見るでしょう。そして、憐れみ深いイエス様の神対応に、日々感動しながら歩む幸いにあずかれるのです。

おっさん
■霊の目でイエス様を見る時、そこに神を見る。
■そして、この方と生きるなら、イエス様の神対応の哀れみと慈しむが人生にともなうだろう。

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