気が動顛
昨日、気が動顛することがありました。それは息子と出かけて5分ほど息子を完全に見失ってしまったのです。その日は嫁さんが友達と遊びに行くというので、とある屋内の娯楽施設に息子と二人で遊びに行くことになっていました。
その施設は3階建てで1階だけでもテニスコート約28面分の広さがあります。さらに施設中央には3階から1階にかけて複雑な形の家のようなものがつながっており、立体的に自由に移動できる施設になっています。週末となると日本人だけではなく外国人も多く訪れる人気スポットです。
張っていた緊張が
朝の9時半に施設に到着してお昼ご飯を食べたりしながら、14時半くらいになっていました。僕はずっとこどもを追いかける移動でだいぶ疲れてきていました。そして、張っていた緊張が少しずつ抜け始めるのを感じていました。
その矢先、息子が走っていきました。ついていこうとすると、その間に別の保護者と子供が入ってきました。何も気にすることなくそのまま進んで行って、いるだろうと思ったところに行くと、そこには別の子どもしかいませんでした。
誘拐することがあるらしい
そこから飛び出しあたりを見回しましたが、息子の姿はどこにもありません。僕はその時、すぐに見つかるだろうと思っていました。しかし、周辺の建物の中をのぞいたりしましたが、階を移動しても一向に息子の姿が見えません。
僕はいよいよ心穏やかではなくなってきました。というのも、これは嫁さんが何度も僕に言っていた話なのですが、「外国人が日本人を誘拐することがあるらしい」と言っていたのです。嫁さんの友達も子供から目を離したすきに子供が外国人に手を引かれて連れていかれそうになったと言っていたのです。
何か胸騒ぎ
まず僕はここで外国人に対して何か言いたいわけではありません。なぜなら、悪い人には外国人、日本人関係ないからです。しかし、ここの施設は外国人が多いだけに「何か胸騒ぎがしてしまったのです。」
それから、変な汗が流れ始めました。中央の施設を見渡せる高い位置にきて探すことにしました。しばらく見渡していましたが、息子の姿は全く見えません。僕は気が動顛し始めました。そして、再び1階から3階を行き来しながら探し始めました。
見失ってから5分ほどだったと思います。少し先に息子の姿が見えました。息子も迷子になったと自覚していたようで、僕と同じように見渡せる高い位置から僕を探しているようでした。後ろから「わっ!」と言って抱きしめると、息子は「ここにいたんか!」というような顔で安心していました。僕はただただ主に感謝しました。
失われた1匹の羊
僕は今回の出来事で聖書に書いてある羊飼いであるイエス様が99匹の羊を残して失われた1匹の羊をどのような気持ちで探して行ったのか?そして見つけた時どのような喜びであったのか?について、少し感情においてわかった気がしました。
もちろん、真の意味でそのイエス様の気持ちを知るために必要なのは聖霊です。主とともに歩み、同じ思いになって救霊の思いをもつことです。僕は自身の感情という側面から補助的に主の思いをしることができました。













