1432_普段の自分の生活圏にいては決して感じることができなかった「意外性」

W成人を祝うパーティー

先日39歳になったと書きましたが、2025年度には40歳になります。そんな節目で高校生時代のメンバーから2回目の成人、つまりW成人を祝うパーティーをしようという話が持ち上がりました。その連絡が入った時に返す刀で、特設サイトを作らせてほしいと連絡をしました。

すぐに作ってもいいと連絡があったので、そのままドメインを取得して自分のサーバにサイトを構築して数日で公開までこぎつけました。LINEグループは既に数百人を超しており、大規模なイベントのなることが想定されており、とても楽しみにしています。

別業界ではアリが像に見えることがある

今回のこの一件で感じたことがあります。それは自分では大したことのない能力と思っていても、他人からみたら特別な能力だと思われているということです。もし、僕がエンジニアが集まるコミュニティなどに入ったらアリと像くらいの違いがあり、僕の能力はきっと小さく見えることでしょう。

しかし、不思議なことに別業界や別分野ではアリが像に見えることがあるというのを体験したのです。

福音宣教にも当てはまる

こういった体験は非常に大切だと思います。なぜなら、普段の自分の生活圏にいては決して感じることができなかった「意外性」だからです。これは実は福音宣教にも全く当てはまります。それは、最近僕が思わされていることにも一致しました。

それは、救われていない人は僕が思っている以上に苦しんでいるという事実です。普通に日常生活を送っていれば、人は本当の自分の苦悩や苦しみを隠すものなので、「一見、なんの問題もない」ように見えます。しかし、実際、心のうちは悩みがあったり苦悩があったり葛藤があったりするものだと思います。

誰が切実に福音を必要としているか?

僕はここ数年、神様の御心と一つにして歩めていなかったので、「一見、なんの問題もない」とう眼鏡をかけて世界を見てしまっていました。それは、あきらかに救霊に対する熱意の低下につながっていました。確かに、救霊の思いはありますが、熱さが完全に欠如していたのです。

もちろん、ある未信者にとったら、その熱さは余計なお世話であることも知っています。だから、その熱さのままに愚直にTPOわきまえない雑な伝道とするのではなく、誰が切実に福音を必要としているか?をご存じである神様により頼んで、導かれる必要があると思わされました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)