圧倒的なコミュニケーション能力不足
僕はこのブログで自身のことを社会不適合者と書いていますが、その理由の一つに圧倒的なコミュニケーション能力不足があげられます。おそらく多くの人にとってコミュニケーションとは決して簡単なものではないと思います。誰でも自分の言ったことが正しく相手に伝わらなかったとうことがあると思います。
そういったコミュニケーションにおける問題で一番厄介なのは、こちらの意図が伝わらないだけではなく、輪をかけて独特の理解をされてしまう場合です。一言で言えば、「そうとる?!」(そう理解する!?)のような驚きを与える人です。
コミュニケーションは人間社会の基礎
何を隠そう僕自身がそういう人間です。これまで多くの人に「そうとる!?」と思われてきました。僕が自虐で言っているわけではなくて言われたこともあります。新卒で入ったメーカーでは他部署の人に「お前はいつも変化球で投げてきて、ものすごいところでキャッチするけど、わざとか!?」と言われたこともあります。もちろん、僕は普通にしているだけです。
この問題は社会で生きていく上で相当致命的です。なぜなら、コミュニケーションは人間社会の基礎であり、それが土台になっているからです。その基礎の上に社会生活、仕事、家庭、友人関係、地域での活動、教会生活が建て上げられるからです。
主が支えて下さっている
僕がクリスチャンになる前はこの問題で実に多くの摩擦や問題が起きました。またクリスチャンになってからも以前ほどではありませんがまぁまぁ問題が起きることがありました。しかし、それでも僕が今生きることができているのは主が支えて下さっているからです。
僕のコミュニケーション能力は依然として、シロアリが住み着き腐ってボロボロになった土台にならぬ土台しかありません。しかし、確かに主が僕の人生に介入して僕を支えてくださっているのです。僕が傲慢になっておらず絶えず悔い改めに導かれている限り、主は大きな憐れみをたれてくださって助けてくださいます。
あえて自身の弱みを見る
年のはじめにこのようなことを書いたのは、自分の弱さを改めて自覚したかったからです。他人に対しては弱みを見ずに強みを見るというのは正しい態度だと思います。しかし、僕みたいな愚か者は自分の強みを見だすとすぐに傲慢になってしまいます。だからこそ、あえて自身の弱みを見ることにより、これまで主がしてくださったこと、また今年も主が必要だということを肝に銘じたいと思いました。