今年のテーマ
年末の朝、聖書を読んでいた時に今年のテーマにしたいと思える御言に読み着きました。
あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
コロサイ1:9-10
特に心に留まったのが「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ」というところです。僕は主に喜んで頂くことに関しても、実は色々あるのじゃないかと思わされたからです。
真に主を喜ばせる生き方
たとえば、僕は教会で説教の奉仕がある時などは通常よりも多く祈り備えることをします。説教がある週はそうでない週と比べて霊的に研ぎ澄まされた週を過ごしています。僕が完全に主の前に降参して、自分を否定して主のみに望みをおいて奉仕できた時、主が喜んでくださっているというのを感じることがあります。
確かに主は喜んでくださっているのかもしれません。しかし、冒頭にあげた聖書箇所にもあるように、真に主を喜ばせる生き方があるということです。それははっきり書かれているとおり、主の御心にかなった生活をすることです。
確かに365日あるうちの奉仕がある週の合計2か月~3か月くらいは主と共に歩んでいるかもしれません。しかし、それは真に主を喜ばせる生活ではないと思ったのです。主が望んでおられるのは365日主と共に主の御心にかなった生活をすることだと思いました。
朝一の時間が重要になる
言い換えれば、奉仕があろうがなかろうがいつも主の前に出て降参する生活だと思います。日々、時々刻々と主の御心を知り、それにかなった生活こそが主に真に喜んでいただけるものなんだと思いました。これは以前よりもわかっていた事実でした。以前にも僕はこのブログで自身の課題をあげていました。
1339_僕は今でもまだ朝の黄金の時間を主にお捧げすることを習慣化できていない
僕は主の御心にかなった生活をするには朝一の時間が重要になると自覚していました。しかし、日常の引力に引かれ、気が緩み、緊張感が欠如し、惰性に流されて僕はずっと惰眠をむさぼり続けていたのです。
3日間続けることができた
しかし、年末の数日間非常に面白いことが起きました。年末は通常ならば休みなので夜遅くまで何の益にもならない動画やテレビを観て時間を過ごすことが多かったのです。しかし、肉の塊である僕が珍しく今年はこのように思ったのです。
「今年の通読はピリピ人への手紙まで終わっている。年末までは朝早く起きて読み終わることにしよう。」
それから、年末は夜9時には就寝して6時半に起きて聖書を読むという習慣を3日間続けることができたのです。これは恵みだと思いました。
主によってできる
早速、内なる声が言ってきました。
「お前は休みの日だったからだからできたんだよ。仕事が始まるとすぐにできなくなるよ。お前は意志が弱いから。」
僕は言い返しました。
「僕にはできないよ。でも、僕は主によって主のみこころにかなった生活をすることはできる」と。