バプテスマ
聖書には明確に二つのバプテスマがあると書かれています。一つは水によるバプテスマ、もう一つは聖霊によるバプテスマです。多くの場合、前者は悔い改めて信仰告白の時に受け、後者は信仰に入ってから受けることがが多いようです。
マタイによる福音書 3:11
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
使徒行伝 8:16
それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。
聖霊のバプテスマ
しかし、僕は聖霊のバプテスマがそれほど語られない教会があることを知っています。そういった教会では信仰に入った時に既に聖霊に満たされるということもききます。たしかにそうかもしれません。なぜなら、結局信仰は、その人と神様との個人的な関係にいきつくからです。外から見て「受けた受けてない」という議論は不毛です。
しかし、はっきりとわかることがあります。それはその人本人が自分は聖霊のバプテスマを受けたという確信があるということです。もし、自分が聖霊のバプテスマを受けたかどうかわからないのなら、はっきりとわかるまでに受けさせてくださいと祈れば必ず与えられます。それは絶対にです。
ルカによる福音書 11:13
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
求め続けること
日本の教会では洗礼を受けるクリスチャンはとても少ないですが、聖霊のバプテスマを求めるクリスチャンはもっと少ないと思います。少なくとも僕が今行っている福音派の教会では救いに入ったあと聖霊のバプテスマを受けなければならないということを語られるのを聞いたことがありません。
何度も書きますが、外から見て「受けた受けてない」という議論は不毛です。しかし、もしそれぞれ、クリスチャンが聖霊のバプテスマを受けたという確信がないのであれば、やはり求め続けるのが聖書に基づいた生き方なのではないかと思っています。













