苦難をどう対処するか
人生には大なり小なり苦難はつきものです。だからこそ、苦難にどう対処するかはすべての人にとって重要なことだと思います。ある人は無責任にも「神は乗り越えられる試練や苦難しかお与えにならない」と言いますが、これはある面、強者の理論であり、乗り越えた者の理論であり、本当に苦難の中で弱さを覚えている人の助けにはなりません。
しかしもし神と共にいるなら本当に苦難を乗り越えることができるのです。これは聖書にも書いてありますし、僕自身が経験してきたことなので、真実だと思っています。
苦難を乗り越えるには何が必要
では、苦難を乗り越えるには何が必要なのでしょうか?何か乗り越える力が必要なのでしょうか?忍耐力、勇気、気力などがあれば乗り越えられるような気もします。しかし、聖書にはこのように書かれています。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
コリントⅡ1:5-6
まず僕が書いている苦難というのは、ここでパウロが書いているようなキリストの苦難とは比べ物にならないくらいものです。しかし、神様は同じにように苦難を乗り越えさせてくださると信じます。
神の慰め
苦難を乗り越える、耐えさせる力となるのは、神の慰めです。神様は人間を鼓舞して上から圧倒的な力を付与して乗り越えさせるということはなさらないのかもしれません。むしろ、寄り添い、静かに耳を傾けてくださり、深い理解を示してくださって、慰めてくださるのです。
それは、イエス様ご自身がこの地上で人としてあらゆる苦難、患難の道を通ってこられたからこそ慰めることができるのです。また、イエス様はこの地上で生きる人が抱えている生老病死を間近で見て感じて知ってくださっていました。
もしかしたら、普通の人は「苦難を抱えている人にかかわったら感情が持っていかれてしんどくなるから近寄りたくない」と思うかもしれません。しかし、イエス様はいつも憐れみの心を寄せて慰めてくださっていました。
知っているよ
僕が今まで苦難を乗り越えることができたのはまさに神さまの慰めがあったからでした。それは御言を通しての時もありましたし、祈りの中での時もありました。イエス様のたった一言で苦難を乗り越えることができたことは少なくありませんでした。それは、このような言葉です。
「わたしはあなたの苦しみを知っているよ。」
その慰めはキリストによって満ち溢れています。そして、それはその人の中に留まらずに周りの人へと繋がっていくのだと思います。
あなたはみそなわし、悩みと苦しみとを見て、
それをみ手に取られます。
寄るべなき者はあなたに身をゆだねるのです。
あなたはいつもみなしごを助けられました。
詩篇10:14