10代の頃
最近、年を取るとともに罪深くなったなぁと思うようになりました。自分が10代の頃にイエス様を信じた時は全く感じることがなかったようなので戸惑いすら感じます。
その理由として考えられるのは、今は当時持っていなかったものを持っていたり、当時と状況が変わってしまったからだと思います。前者でいえば、今は自分で働いてある程度自由に使えるお金があります。もちろん、それは別にFIREできるとか頻繁に旅行に行ったりできるといった余りあるものじゃありません。
お金はいつでも中立でありますが、お金は人の心を簡単に捉えてしまうという側面を忘れないようにしたいと思わされています。
自分も周りの状況も変わった
また後者でいえば、当時より状況はだいぶ変わっています。まず自身の責任はだいぶ大きくなりました。10代は未成年なので、親の庇護のもとにありましたが、今は、控えめに言っても家族は養わないといけない立場にあります。金銭面での責任だけじゃなくて、子供に対しては霊的な側面においても大きな責任を負っています。
さらに自身だけななくて、周りの状況も変わりました。若かった頃は別に名誉や地位や権力などには全く関心がありませんでしたが、身近な友人がそれなりの立場にいたり収入があったりすると、強い願望や憧れすらはないですが「なんとなくいいな~」と思ったりするようになっていました。
権力もいつでも中立です。しかし、お金同様人の心を簡単に捉えてしまうという側面があります。僕自身は権力とは正反対にいる人間なのでその心配はないかもしれまえんが、ねたみ、そねみ、嫉妬には気をつけないといけないと思っています。
心は硬化したままか?
僕は確かに変わってしまいました。しかし、変わらないお方がいます。それはイエス・キリストです。僕がどれだけ変わってもずっと変わらない愛で関心を持って目を留め続けてくださったお方はイエス様です。
じゃあ人間の心は一度変わってしまったもう元に戻らないのでしょうか?心は硬化したままでしょうか?決してそうではありません。もし、変わりたいと思うなら主は重いのままに造り変えてくださいます。もし、僕がそれを望むなら。
主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。
エレミヤ18:6