1057_ペンテコステ派に対する誤解や偏見の原因

ペンテコステ派に関する論争

今日は非常に書くのが難しいテーマについて書こうと思います。それはペンテコステ派についてです。最初に書いておくと僕は現在福音派の教会に行っていますが、ペンテコステ派の教会で救われて、イエス様に出会う体験をしました。今福音派の教会にいるのも母教会が嫌になったわけではなく、事情により導かれて福音派の教会に通うようになりました。それ以前にも中国にいた時は合計4年間福音派の教会に行っていました。

ペンテコステ派は日本のキリスト教会では論争が絶えません。よく「ペンテコステ派 危険」というようなキーワードと一緒に検索されます。それほど、ペンテコステ派は外から見た場合、未知で異質な存在として見られていることなのでしょう。

これから僕が書くことは僕が自分の目で見て感じたことなので一人の人間の主観にすぎません。また当然合う合わないの問題もあります。しかし、少しでも福音派とペンテコステ派双方の誤解や偏見がなくなればと思っています。

ペンテコステ派に対する誤解

ペンテコステ派は人が倒れたり無秩序!?

まず、もしかしたらある人たちは、ペンテコステ派といえば奇跡やしるし、あるいは人が倒れたりする超自然的な現象や異言、聖霊の導きという名の無秩序な礼拝をイメージされるかもしれません。しかし、少なくとも僕が知っているペンテコステ派の指導者は非常にロジカルで現実的で実際的で秩序を重んじる人ばかりでした。

その一方で確かに僕は極端な指導者がいるのも知っています。もちろん極端な指導者が悪いわけではありません。それは人間の目から見た時に極端だと思うだけだからと思っています。むしろペンテコステ派に対する偏見はどちらかといえば、ここは一信徒として自戒を込めて書きますが、極端な指導者よりも現象にのっかる信徒によってつくられてきたと思っています。それはどういった人でしょうか。

現象主義

僕は聖書にあるとおり御霊が語らせるままに異言を語る人もいれば、自分でそれっぽく語る人がいるのも知っています。また本当に神の臨在に圧倒されて立てなくなる人もいれば、指導者の祈りを前にして自ら倒れようとする人もいます。これを書くのはタブーです。なぜならこれらは一個人の主観的な体験であり、客観的にあれはどうだ、これはどうだ、と言えるものではないからです。これは内心は思っていても誰も言わなかったことだと思います。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?それはペンテコステ派が現象の宗派だったからだと思っています。現象のいかんによって自身の信仰が客観的に判断されると思った場合、人は現象重視の信仰に陥ってしまいます。つまり、異言を語ってないと自分は信心深くない、あるいは神に受け入れられてないと思ってします。または人から不信仰だと思われてしまうなどの心配が生まれてしまいます。

僕が考えるペンテコステ派の誤解や偏見はこういった一部の現象重視の人たちによってが生まれていったのではないかと思っています。

集会主義

次にペンテコステ派の教会は礼拝における聖霊の働きや導きを最重要視します。礼拝は既定のプログラム通りに進んでいきますが、その枠の範囲内で例えば賛美の中で自由な礼拝の時間が入ったり、礼拝後に祈りの時間がもたれたりします。僕自身これは聖書的であり大切なことだと思っています。

僕が思っているのは、これも一信徒として自戒を込めて書きますが、週1回の礼拝の見えるところだけを追求しすぎていて残りの6日間の平日は意外にも聖霊の働きや導きを求めずに生きる人が誤解を生ませているのではないか?ということです。つまり、書いてしまえば、礼拝でやっていることと日常生活を送っている品性や人格が全くもって一致していないということです。

それを他の人が見た時に、なんだこの人たちは?となるのは当然だと思います。

自分はどうだったのか?

僕は決してペンテコステ派や指導者に対して批判をしたいわけではありません。むしろ、僕が知っている指導者は霊的にも人格的にもまことにこの人は神の器と思える人ばかりでした。このようなクリスチャンになりたいと思える模範的な人ばかりでした。僕が書きたかったのは、自分自身がペンテコステ派の信徒として多くの人を躓かせてきたのではないかということでした。それは先日のブログで内省したことでもあります。

1054_自分が思っている以上に自分は人を躓かせている

本当の信仰者というのは、宗派問わずそもそも現象そのものを追求しないし、礼拝の時も食事をする時も毎日7日間、聖霊の導きと働きを求めながら生きている人だと思います。僕には今それができていないからこそ、今回こういった内容を書こうと思いました。

集会の前で人を目の前にした時だけ聖霊の導きを求める信仰者ではなく、日々、時々刻々と聖霊の導きを求める者になりたいと切に祈っています。

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