0947_クリスチャン生活に欠かせない2つのもの

クリスチャン生活に欠かせないもの

クリスチャン生活に絶対に欠かせないものが2つあります。この二つがなければ神様の恵みも祝福も臨在も福音宣教の恵みも人生には伴ってきません。それは「へりくだること」と「悔い改め」です。これらはいずれも地味です。

そして生まれながらの人間はほとんど真に神の前にへりくだることや悔い改めることに抵抗するものです。だからこそ、狭い門から入らないといけないのだと思います。

へりくだり

旧約聖書に何度も神様は心へりくだる者を顧みてくださると書かれています。なぜなら、神様ご自身がへりくだっておられるお方だからです。それを体現されたのはイエス様ご自身でした。

もし人がイエス様に従うと決めたのなら、それはへりくだりの道を歩むことを決心することと同じです。キリスト教では派手に見えるパフォーマンスの礼拝や、説教者やワーシップチームなどが目立つものです。しかし、そのあらわれているものは決して本質的なものではありません。むしろ本質的なものは目に見えない霊的なものです。その表れの前には強烈な「へりくだり」があるのです。

悔い改め

クリスチャンはキリストの血潮によって義とされています。そして御言によって聖められています。しかし、イエス様が弟子たちの体は洗わなくても足を洗う必要があったように日々生活する中ではどうしても心に汚れが溜まってきます。それは、不平不満、愚痴、批判、許せない思い、高慢、高ぶり、感謝しない心などがあるかもしれません。

これらは悔い改めによって神様に洗っていただかければなりません。しかし、僕自身はよく直面することがあります。それは悔い改めが「反省」で終わってしまうということです。人は反省では決して変わりません。なぜなら、真の悔い改めとは180度向きを変えて神様の方向に向きなおすことだからです。

その場しのぎの反省

僕は何か失敗してしまった時に反省で済ますことがあります。その心にはまぁ別にこれくらいはいいだろうという心の妥協があるのです。つまり、180度神様のほうに方向転換するのではなくて、150度くらいで止まってしまっているのです。このような生き方は、冒頭にも述べたように神様の恵みも祝福も臨在も福音宣教の恵みもありません。

今僕に必要とされているのは反省ではなくて、真の悔い改めです。イエス様との正しい立ち位置、関係に戻すために妥協をゆるさない生き方を求めます。

愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
ペテロⅠ2:11

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