外部からの負荷によって変わる
自分を見ていて思うのは、人は変わりたいと思った場合、内発的に自分から働きかけていくよりも、外部要因によって強制的に自分に負荷がかかったほうが変えられるということです。大谷翔平選手なみの自制心があれば内発的であっても強度の高い負荷をかけて自分を変えることができるかもしれませんが、自分も含めて多くの人はやはり自分に対して甘くなってしまうものだと思います。
筋トレにおいては筋肉を追い込むことが重要になります。よく聞くのは自分ひとりだけで筋肉を追い込み切るのは難しいということです。あと一回持ち上げられるかどうかというところで、一人だったら一回持ち上げて終わる状況であっても、優秀なトレーナーと一緒にすれば3回くらいは持ち上げられたりするものです。それは中国にいた時に1回トレーナーをつけてトレーニングをした時に感じました。人は客観的、かつ専門的に負荷をかけられる人が必要なのです。
適切な負荷を適切な時に
ここ最近は本当に多くの出来事がいっきに起こってきて、外部要因によって強制的に自分に負荷がかかっている状態でした。しかし、その負荷は神様から与えられたものであり、神様のゆるしの中で与えられたものなので、僕が変わるために必要なものとして受け止めています。実際に自分一人では絶対に変わることがなかっただろうということが精神的にも肉体的にも起こってきました。
すべての被造物を創造した神だけが、一人ひとりが変わるために必要な負荷をご存知です。そして、その負荷は神の御旨のままに与えられるものです。その負荷を主の恵みの中で受けて変わったあかつきには、さらに多くの恵みと祝福を体験することだろうと思っています。
変わりたい理由
僕自身は、昔から今に至るまでずっと自分が変わりたいと思ってきました。しかし、その変化はぱっとみわからないようなわずかなものかもしれません。それでも、主にあってこの肉体的な欲望で生きるのではなく、本当に自分を捨てきる生き方と御霊によって導かれる生き方が徹底してできるように望み続けています。
もし、僕がこの望みを失ってしまったら、僕がこの地上で生きる目的を失ったことと同じになります。もちろん、この地上ですべきこと、仕事、家庭、子育て、教会、地域社会、様々なすべきことがありますが、永遠に続き永遠に残るものは、主と共に歩んだこの魂と主のためにしたことだけだからです。なによりも、今主に喜んで頂く生き方がしたいからです。
すべて恵み
様々な出来事が起こって来た時は、主にとって良い働き人となれるように変わるチャンスだと受け止めて主と共に歩んでいきます。