誰が一番ビンカンか?
先日「くりいむのナンタラ」というテレビ番組を観ました。タレントたちが様々な施設に行くのですが、その施設のあらゆるところにツッコミどころが隠されており、それを探し当てるというコーナーでした。誰でも一瞬でわかるようなネタ的な要素もあれば、なかなか気づきにくいものまであります。簡単なものは低得点、困難なものは高得点で、タレントたちが施設を楽しみながら、高得点を狙うというものです。
高得点のツッコミどころはよく画面を見たり、視点や発想を変えたりしないとなかなか見つからなくて面白かったです。番組の中では、ビンカン(敏感)という言葉が使われており、誰が一番ビンカンかというのを競っていました。
主に対してビンカンになる
今日読んだ聖書箇所にこのような言葉があって、ビンカンになることの重要性を今一度認識しました。
彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。
エペソ1:18-19
「俺にはイエス様なんていーらねー!」というような的外れ(罪)の生き方をしていると、心が硬化、また無感覚になってしまいます。そうなると、神様の御心や聖さ、また恵みや祝福の豊かさを十分に感じ取れなくなってしまいます。
ワインは頭で味わいますが、聖書の言葉や主の恵みは霊で味わうように、霊的感覚が研ぎ澄まされていないと、心が硬化、無感覚になる危険性があります。ですので、霊的なことに関してはビンカンであり続けたいと思いました。
ネガティブに関してはドンカン
その一方でビンカンにならないほうがいいこともあります。刺激によって反応があるように、刺激に過度に反応しないほうがいいことも多くあります。例えば、ドゥームスクロールという言葉には、SNSなどでネガティブな情報をスクロールしていくと次第に気分がげんなりしてしまうという意味があります。
ですので、様々なネガティブ情報に対してはビンカンならずに無感覚、むしろできるだけそういったものに触れないようにしたほうが精神衛生によさそうです。
1日をビンカンに過ごす
1日が始まると、期待や楽しみがある一方で、不安や恐れがあるかもしれません。しかし、1日のあらゆるところに主の恵みが隠されていて、それを見つけながら1日を過ごすと思うと面白そうです。なぜなら、一見ネガティブなことと思えることでも、主のなされることは時にかなって美しく、主は万事を益としてくださるお方だからです。
■だから、霊的にビンカンになって主ご自身の恵みを大いに感じれるようになりたい
■ただし、ネガティブ情報に関しては、鈍感になり無感覚でスルーすると精神衛生によさそう
■1日のあらゆるところに主の恵みが隠されていてそれを探すと考えると面白いかもしれない