0153_頑張らなくてもチームプレー

こんにちは。

誰かのInstagramライブの通知を間違ってタップしてしまった上に、視聴者が自分ひとりだけの時、きまずくてすぐに退室できないおっさんです。

最近、今更ながらですが、チームプレーの重要性をつくづく感じています。幼稚園の時から集団行動が苦手で、もれなくチームプレーが要求されるスポーツももっぱらだめで、チームプレーという言葉がすごく嫌いでした。

でも、実際は全員が毎日チームプレーの中で生きているようです。社会的役割の中で、組織の中で、家庭やその他友人関係などの中で、自分は誰かを必要としており、誰かが自分を必要としています。

特に組織や仕事遂行においては、一人で完結できるものには限界があり、得手不得手や適正などががっちり組み合わさってプレーが回り始めると足し算以上の効果が生まれることを実感しています。

ある人が当たり前にこなしていることも、ある人からすると神業のように見えたりすることがあります。ぼくはもっぱら口頭言語能力が低いので、営業スキルをもっている人と仕事をすると、自分の中で絶賛の嵐になります。

おそらく、自分も、意識をしなくても、たぶん誰かの必要に役に立っており、誰かの助けになっているんだと思います。自分にないものを見て、卑下するより、自分に与えられているものに感謝して、それを喜んで与えられるも者になれたらなぁと思いました。

もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
コリントⅠ12-26-27(口語訳)