社会が分断
コロナ禍によって様々な問題が浮き彫りになりましたが、ワクチンを受ける派受けない派は社会を分断しました。アメリカでは日本よりも早くワクチン接種が始まったにも関わらず、人口全体の接種率は日本がアメリカを抜いてしまいました。当初共和党支持者の多くはワクチン接種を頑なに拒否していましたが、感染が拡大するにつれ接種する人が増えてきたようです。
コロナのワクチンに関しては依然として陰謀論が多くあり、SNSや動画サイトなどでも様々な情報があります。ワクチンを接種するか、しないかは、個人の自由なので誰にも強制されるものではありません。個人に判断が委ねられていおり、そこに様々な政治的思想的な宣伝があるがゆえに、意見が分かれ、ついには分断がおこってしまいます。共和党にキリスト教福音派の支持層が多くいるように、キリスト教会でもワクチンに関して、意見は分断されています。
個人の自由
受ける受けないは個人の自由で、あとはお任せします。というスタンスであれば、問題ないと思います。しかし、一部の教会の指導者は信徒の方たちにワクチンを受けないように推奨(指導?)している教会もあり、それはいかがなものかと思ったりもします。こういった医療に頼るか、神に頼るか、の二元論の議論になった場合、前者を選べば不信仰という烙印を押される可能性すらあります。民主的な教会であればそういったトップダウンで運営はできませんが、単立教会などでは牧師の言うことに対して、反対意見は言えない事情もあります。
すべての真実を知ることは不可能である以上、何かの不確かな情報を信じなければなりません。多数のほうへ流れて判断する場合もありますし、科学的根拠を信用する人もいるでしょう。反対にそもそも、科学的根拠が偽りだと思えば接種はしないと思います。
神癒か医療か
適切な医療を受けるか、神に祈り癒やしを求めるか、はそれぞれの教会の牧師の方針や教義に関わってくることだと思います。確かにイエス・キリストは癒やし主です。例えば、中国の農村からキリスト教のリバイバルが起こったのは、イエス・キリストによる癒やしの奇跡が多く起こったからというのは様々な書籍などで証されています。しかし、その一方で、僕たちは少なくないクリスチャンが病にかかり癒やされることなく天に召されていった事実も知っています。現代に生きる僕たちは、そこに信仰がないだけなのでしょうか。
最終的には癒やされるも、癒やされないも、神様は最善をなされるから、神の御心がなるようにと祈ります。たとえ、結果は祈ったとおりではなかったとしても、神は必ず平安を心に与えてくださいます。これが最も重要なことです。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
ピリピ4:6-7
ワクチンを受けるか、受けないか、どちらが正しいのかはわかりません。今は良くても後の日に現れる結果次第では良し悪しが反転する可能性があります。大切なのは自分のすべき最善を尽くすこと、そして、神の最善がなるように祈り、自分で決めることだと思います。