中国へ来て逆にやせた理由
中国へ来てから、体重が大幅に減りました。現在、54キロです。サラリーマン時代はストレスから過食が進み、最高67キロまで上昇したましたが、退職後、食生活が改善され、徐々に減っていき、58キロまで下がりました。
渡中前は、中国では脂っこい料理ばかり食べることになるので、再度体重が上昇されることが予想されましたが、それは杞憂に終わったようです。太らなかった理由は3つ挙げられると思います。
1つ目の理由
私にとって、食事は味覚を楽しむためではなく、食欲を満たすためだけに取るものなので、味覚が刺激され、食が進み、過食にいたるということは決してないからです。
中国は格差が激しいので、食事のグレードはおおよそ以下のように分けられる。
B中間層が取る食事
C貧困層が取る食事
私が取る食事は、CないしはB、もしくはCとBの中間あたりなので、悲しいかな胃に物が入ればそれでいいのです。食事の回数も朝食を抜くことが多いため、2回がほとんどです。
2つ目の理由
身近なところに、おいしいお菓子やデザートを販売している店が無いため、間食したいと思わないからです。
中国産のお菓子も頑張ってはいますが、中国人と日本人の味覚が違うためなのか、私からすると、月とすっぽんくらいの差があります。中国にもコンビニがありますが、日本のコンビニに当たり前に並んでいるような低価格かつ高品質なデザート、菓子パン、お菓子がまったく見当たりません。
どれだけパッケージや袋に、美味しそうな写真やイメージ図が描かれていたとしても、どうせ袋から出てくるのは、人を失望に至らせる、想像とはあまりにもかけ離れた、口に入れたいとも思わない悲しさのかけらだけです。
春節、日本へ帰国した時に、改めて日本のコンビニの素晴らしさを実感しました。食欲などの生理的欲求はもちろん、ある程度の精神的な満足までコンビニで、得ることができると感じてしまいました。
3つ目の理由
食生活とは関係なく、私は毎日必ず通勤で往復40分歩くからです。私はこのような中国での喜びのあまり無い飲食生活を通して、自分が以前日本でいかに飲食に頼って、精神的な満足を得ていたかということに気づかされました。もちろん、それは悪いことではなく、人間の本来あるべき自然の欲求であり、神が人間に与えた豊かさでもあると思います。
これは、あくまでも私の仮説ですが、甘いという味覚の欲求をほかの精神的、肉体的なもので満たしてしまった場合、霊的なものに対する餓え渇きは少なからず減ってしまうのではないか。と思っています。
分かりやすい私の体験で言えば、仕事帰りにコーラを飲んだ日は、帰宅後、どうも聖書を読む気が起こらなかったりします。
一方、コーラの糖分、刺激に対する欲求を我慢して、帰宅した時、なぜか聖書に対する欲求が強く感ぜられ、聖書の甘み成分を十分に味わうことができた、という経験が少なからずあるからです。
聖書の御言葉は魂に蜜のように甘い。あなたのみことばは、私の上あごになんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。
仮説なので、実際は分かりません。もし、試しにやってみて、仮説どおりの結果になったという人がいたら、連絡頂けますと幸いです。
神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
カナンの地は今日も輝いています。