うまくいかない時は、何をやってもうまくいかないなと思います。先週から口内炎ができ始め、先週末から風邪の症状が出始め、もうすぐ一週間経過するがまだ完治しません。
先週の日曜日は教会を休み、一日、家で休養しましたが、月曜日からは通常通り授業です。元気よく授業をしようと思っても、やっぱり、しんどいなぁというのが出てしまいますし、学生がいちばん敏感にそれを感じていると思います。
一応、日本から持ってきた風邪薬を飲み、規則正しい生活を送り回復に努めていますが、風邪の症状がもう一週間近くも続いています。私はもともと病というものを、自分の一部として見ることができず、体をいたわってやることができない人間で、病を自分の体から切り離し、客観視し、軽視し、自ら荒療法を施していました。
例えば、口内炎ができた際は、患部を爪楊枝でつつき回し、腹痛の際は、腹部にボディーブローを加え、わざと刺激的な辛いものを食べたりします。これは頭がおかしいやつだと思われる方もいらっしゃると思いますが、事実です。実際、この荒療法を施すと、だいたい、翌日には完治しています。もちろん、医学的根拠は全くありません。
わたしの分析によるとこのような理屈です。
まず、身体に対して、危機の上にさらに危機が迫っているということをわからせてやります。
腹痛の場合ですと、ボディブローを施します。腹痛とは本来は基本的に内側からの痛みだけですが、そこに輪をかけて、外側からも痛みが襲ってきます。そうすると、身体が、早く回復しなければ、もっと激しい苦痛が押し寄せるのではないかと、恐怖の念にかられ、急いで回復しようとするようです。
これで、翌日にはだいたい完治します。この治療方法は医者にかかる必要も、薬を飲む必要もないので、非常に経済的ですが、ひとつだけ欠点があります。それは治療する際には、必ず特定の患部が存在しなければならないということです。
特定の患部が存在しない以上、そこに痛み(制裁)を加えることはできません。今回の風邪の諸症状なども該当します。わたしの病に対する怒りのやり場はなく、張り合いもなく、なすすべなく、現状を甘んじて受け入れなければなりません。
治療する際には、必ず制裁が加えられる特定の患部が存在しなければならない。
イェス・キリストはその制裁の対象となり、わたしたちはその打たれた傷によって癒されました。
キリストが私たちの一部になったのではなく、私たちはひとつになりました。
だから、はやり患部を自分の体の一部として見ないで、病を自分の体から切り離し、客観視し、軽視し、自ら荒療法を施すということをそろそろ卒業すべきなのかと思っています。
その打たれた傷によって、わたしたちは癒されたのだ。
カナンの地は今日も輝いています。