今年バベルの塔内に新設されたジムに通うようになって、約2ヶ月ほど経過しました。
当初は意気込んで申し込みましたが、いかんせん飽き性なので、忙しさを理由に怠けて、行かなくなるかと思っていましたが、意外に今のところ継続できており、一週間に最低3回、多いときは一週間に5回通っています。
何も強い確固たる意志によって継続しているわけではありません。テレビも映らない、インターネットもできない、そんな娯楽性のない部屋に身を置いているので、私にとって、唯一の楽しみといえば、ジムに行って体を動かすくらいしかないから続いているだけです。
当初、カウンセリングを受けた際、コーチに言われたように、できるだけ、ご飯を多く食べるようにし、トレーニングの後も、無理してでも夜食を食べ、一日四食を心がけていました。
そのかいあってか、わずか2ヶ月で体重も55キロから60キロまで上昇しました。
今では上半身にはっきりわかる変化が現れてきていて、色々な人から、指摘されるようになりました。私は、自分の肉体の変化を指摘された際、自分はジムに通っているということを言うのが、なぜか恥ずかしく感じられました。
そのように感じた理由は二つあると思います。
ひとつは、もしジムに通っているなら、引き締まった頑強な肉体を有していることは当然と判断されるからです。
それは、アメリカに留学した人は、事実に関係なしに、他者から英語が話せると当然のように判断されることと同じだと思います。もちろん、例外もありますが。
そして、もうひとつの理由は、私の中で、何のために体を鍛えるかという目的意識がはっきりしていなかったからです。
昔と比較することは愚かですが、昔は、「なぜ体を鍛えるか」という質問に対しては、「戦闘に備えるため」という明確な答えがあったと思います。
さらに重量のある武器を扱えるようになるため、
さらに攻撃力を上昇させるため、
さらに防御力を上昇させるため、
それが、生活の一部であり、仕事であり、それが、自分の国を守るためという大きな目的に直結していました。
もちろん、職業的格闘家や軍人やボディビルダーなどの例外はありますが、今は、大部分の人が、健康のため、いい体を手に入れるためという目的で、トレーニングに励んでいるようです。
都市化に伴って、運動できる場所が激減し、
労働形態の変化によって、デスクワークが増え、
生活の中で運動する機会が圧倒的に減少し、
このような事情からジムに通わざるを得ないというのは、仕方がないことだと思います。
私はジムに通うようになり、少しずつ自分のトレーニングに違和感を感じるようになりました。私が違和感を感じたのは、自分にはトレーニングをする明確な目的が欠如しており、トレーニングすること自体が目的になっていたからです。
これは、外国語を使って何か目的を達成するをというよりは、外国語を勉強すること自体が目的になっている人と同じだと思います。
ダイエットなどの健康のために、トレーニングをしている人は理解はできます。しかし、ジムにいる大部分の男の人たちは、鍛えている自分の姿を鏡で見ることによって、陶酔することを目的としたり、美しい肉体を他者に見せびらかしたいという動機でトレーニングをしたりしているように見えました。
もちろん、これは私の主観で、偏見や先入観が相当入っているかもしれません。
普段の日常生活において、普通のサラリーマンの人が、60キロ、70キロのものを持ち上げる状況など、ほぼ皆無だと思いますし、
また、地震が発生して、
建物の下敷きになった人を助けるため、
その圧迫物を持ち挙げなければならないという状況に出くわす機会も、この短い人生においては、相当少ないと思います。
そして、さらに美しい肉体を見る事が好きという特異な方も、いらっしゃるかもしれませんが、私自身は、ビルドアップされた体を他人に見せることによって、他者に相当の喜びや幸せや与えられるとは思いません。
健康や職業的な理由、もしくは特定の目標なしに、
体を鍛えることは、自己満足にほかならず、
よく形容されているように、
“筋肉馬鹿”というレッテルを貼られるのは仕方がないことだと思います。
そして、私は、健康のためでもなく、職業的な理由からでもなく、さらに特定の目標をもつこともなしに、ただ帰宅後、何もすることがないからという理由でトレーニングをしており、
自分の物差しで自分を測れば、
自分の分類方法で自分を分類すれば、
自分は、“筋肉馬鹿”に分類されることが明確になりました。
そして、何とかこの“筋肉馬鹿”から逃れるために、2週間前からトレーニング方法を大幅に変更させ、明確な目的意識をもって取り組むようにしました。
明確な目標とは、高校時代に練習していて、結局できずじまいに終わってしまった、ブレイクダンスの技の一つであるトーマス・フレアーを習得することです。トーマス・フレアーとは、体操の鞍馬と同じ技です。
もし、トーマス・フレアーができるようになれば、たとえ手元にダンベルがなくても、また床の状態が良質でなくても、ただ床が平面、かつある程度の床面積を確保できれば、体ひとつで、会社の宴会などの諸々の場面で、芸を披露できるようになり、少しでも宴会や会を盛り上げることができるのではないかと考えました。
もちろん、こんなもの見てもなんになるわけでもありませんし、誰も喜ばない可能性もあります。
しかし、自らの筋肉を披露するために、上着を脱ぐのは芸じゃないですし、また、鞄に数十キロのダンベルを詰め込んで、宴会場へ持っていって、そこで、それを持ち上げる芸をするよりは、だいぶんましではないかと思い、目標設定しました。
「わたしは、目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。」
カナンの地は今日も輝いています。