中央政府の家の教会に対する対応の変化

中国の家の教会と三自愛教会の最大の相違点は、法的に合法か否かにある。

中央による家の教会に対する対応方法

現在の中国の宗教法規と宗教政策によれば、三自愛教会は政府公認の合法のキリスト教会であるが、大部分の家の教会は政府の認可を受けておらず、法的に不法のまま存在し続けているのが現状である。

このため、長い間、地方政府と家の教会の間で、度々衝突や問題が起こっており、このような現状が、現在の家の教会の存在や成長に大きな影響を与えている。

家の教会という組織形態は客観的に実体的に存在しており、その整った運営や活動、管理体系などの性質から判断すれば、明らかに社団法人に属するものである。

近年、例外は出てきてはいるものの、依然として、一般的な地方政府の態度としては、まだまだその存在を認可するには至っておらず、家の教会も認可を受けるすべがなく、不法としての存在を余儀なくされている。

もちろん、政府公認の三自愛教会の傘下に入ることで、合法の地位を得ることはできるが、一般的に多く家の教会は、三自愛の組織下に入って合法の立場を得るよりは、不法のまま存在するほうを望んでおり、双方の間で、緊張感が続いている。

政府の家の教会に対する対応の変化は、以下の3つの段階に分けられると言われている。

①1954~1980年

政府が強硬手段に出て、家の教会に対する圧力を強め、
激しい迫害行為を実施し消滅しようとしたが、失敗に終わった時代。

②1979~2001年

政府が断固として家の教会を消滅しようとし、鳥かご政策を実施した時代。
※鳥かご政策(家の教会の存在は許容するが教会活動に抑圧を加え活動制限させる政策)

家の教会に対する制限を強化したが、結果的に穏やかな手段を取ったため、何の効果も見られなかった。この時代も相変わらず、家の教会に対しては、厳しく強い圧力が加えられていた。

③2001~現在

2001年11月20日に開催された全国宗教会議で、江沢民が発表した「宗教問題について」という重要講話が、政府の家の教会に対する対応に大きな影響を与えるようになり、この時、大きな転換期を迎えることになった。

江沢民の重要講和による転換

この重要講話の中で、江沢民は、無神論を掲げる社会主義の国家がたとえ目標とする共産主義社会に到達したとしても、社会に宗教信仰が存在することは決して避けられないということを述べ、そのようなことから伝統的なマルクス主義に対して、大幅な修正が必要であるという考えを発表した。

これは、実質的に家の教会の存在の現実性を黙認することにしたことにほかならず、この重要講話以降、政府の家の教会に対する厳しい対応は緩やかになり、家の教会に対する扱い方も次第に改善されていった。

しかしながら、この重要講話は家の教会の存在を黙認しただけにとどまり、依然として、集会や宗教活動に対しては干渉や制限が加えられていた。

宗教事務条例施行による転換

それから、4年後に第二の転換期を迎える。
2005年3月1日に正式に施行された「宗教事務条例」によって、中国の家の教会の環境はより改善され、集会や宗教活動は基本的に制限や干渉を受けないようになった。

しかし、この条例は家の教会の存在を法的に認めるものではなく、ただ集会や宗教活動を認めるだけの非常に不十分なもので、依然として、家の教会は教会堂を建てることもできず、法的には合法の立場を得ることはできない状態にある。

このように、政府の家の教会に対する対応は、時代とともに、厳しいものから穏やかになってはきたが、法的には不明瞭な中途半端な存在であることに変わりはなく、家の教会の政府に対する不信感はぬぐいきれないでいる。

参考資料
基督教的发展与中国社会稳定—与两位“基督教家庭教会培训师的对话”
参考資料

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)