時間厳守か、
法令遵守か。
毎週土曜日は18時に学校が終わるので、授業終了後、すぐにバスに乗って教会へ行きます。東莞市内は、土曜日であっても、17時から19時の間は、道路が渋滞するため、バスがなかなか来ません。先週の土曜日も30分ほど待って、ようやく一台が来ました。
聖歌隊の練習は19時から始まっていますが、あらかじめ、19時45分頃に到着すると連絡しています。19時30分に教会の最寄の駅へ到着したあと、急いで、ジャスコ内にある吉野家に駆け込み、ただ、エネルギー補充のためだけに牛丼をほおばります。
5分で食べ終え、いつもどおり、ジャスコ内から地下道を通って反対道路へ行こうとすると、封鎖中の紙が張られていました。
一瞬、戸惑い、考えました。反対側へ行く方法は二つしかありません。一つは、迂回する方法で、10分ほど歩いたところにある歩道橋まで歩き、反対側へ渡り、それから、さらに5分歩くというものです。これでは、教会への到着が20時になってしまいます。
もう一つは、片道4車線ある道路をそのまま横断する、いわゆる、中国式横断方式。これは、うまくいけば、3分で横断可能だと思われます。実際、多くの教会の信徒が、法令を遵守しておらず、この方法を採用し横断していることをわたしは知っています。
それゆえ、中央分離帯にある茂みは、既に歩く人が多くなったため、道ができてしまっています。
前者は合法、
後者は違法。
法令遵守か、
時間厳守か。
合計8車線。猛スピードで行き交う車を見て、思わず足が震えました。一方、さらに遅刻することで、教会員の私に対する信用が落ちるのではないかという、恐れもやってきました。
といっても、いつもの地下道は封鎖中です。これ以上、悠長なことは言ってられません。腹をくくる。私は目的地に対して、水平方向にではなく、垂直方向へ足を向けました。
幸いにも、すぐ前方に先発隊を発見、聖書に登場する武器を取る者のように、その後をついていくようにして、無事渡り切りました。
私には、どちらの判断が正しかったかは分かりません。
私は自分の行為を正当化するつもりはありませんし、また、法律を守ることは絶対であると思います。しかし、人と人との繋がりや、人間の情緒面を一切排除して、法律によって、きっぱり白黒つけることだけが絶対とも思いません。
実際、二分法で判断できない事例が、私たちの生活の中には多くあるように思われます。なぜなら、「憐れみは裁きに打ち勝つ」からである。イェスキリストの憐れみこそが、私たちを救う。
律法はモーセを通して与えられ、恵みとまこことはイェスキリストを通してきたのである。
カナンの地は今日も輝いています。