クリスチャンでも御霊によって歩かないならば肉の欲に満たされるしかない | 空洞の原則

どうすれば餓え渇きが?

先日より「霊と肉は同じ空洞を共用している」と書いてきました。肉で空洞が満たされている場合、主に対する餓え渇きが起きないのは当然のことです。おなかいっぱい食べた直後にカツカレー出されたところで一口も口に入らないのと同じです。

では、どうすれば餓え渇きが起こるようになるのでしょうか?それは空洞を作るしかありません。空洞を作るには二つのことが必要だと考えています。一つ目は聖書です。聖書によらなければ、なぜ空洞にする必要があるのか?という問題意識や神が望んでいる正しい生き方とは何なのか?すらおきません。

本心に立ち返る

二つ目は悔い改めです。放蕩息子の言葉を借りれば「本心に立ち返る」ことです。では、どうすれば本心に立ち返ることができるのでしょうか?それは肉で満たされていた空洞が空っぽになる時です。肉の欲望は当然1回満たせば永続するものではありません。確かに際限はありませんが、時間経過と共に空洞は大きくなっていくのです。

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その時がチャンスです。もう一度肉の欲を満たしたいと思った時に聖書の言葉に立ち返り「このままではだめだ」と本心に立ち返るこそが神様に対する餓え渇きを起こさせるきっかけとなります。

やはり一人なのだ

実際、僕が高校生の時もそうだったように思います。バンドやダンス、自分がやりたいことを友人とともに極限まで楽しむことをしていました。しかし、ふとした時にこのような思いがきたのです。

「友人すらもいつまでも僕と一緒にいるわけではない。僕はやはり一人なのだ。寂しい。」

そう考えた時に僕の心の中に空洞があることに気づき、そして幼いころから聞いていたイエス様なら僕の空洞を満たせるのではないかと思うようになったのです。

空洞の原則

最初は小さな期待、それが予感に変わり、イエス様に出会った時に確信に変わりました。その時に僕はイエス様による空洞の満たし、霊の満たし、喜びを味わいました。その時から本当にこの御言は真実だと思うようになりました。

これは自分に対して書きますが、たとえクリスチャンであっても御霊によって歩かないならば肉の欲に満たされるしかありません。これが空洞の原則です。誰でも霊によらなければ肉欲に満たされるしかないのです。これは不都合な真実であり、厳然たる事実です。

ガラテヤ人への手紙 5:16
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

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