1924_息子がコーヒーを淹れてくれた時のこと | 主に仕えるとはどういうことなのか?

入れてあげたい

先日このような出来事がありました。僕は毎朝コーヒーを飲んでいるのですが、それをいつも見ていた息子が「僕のためにコーヒーを入れてあげたい」と言い出しました。「じゃあ、一緒に作ろう」と言って、コップの中に水を入れインスタントコーヒーの粉を入れて混ぜてから氷を入れました。

僕が「ありがとう!作ってくれたコーヒーとてもおいしい!」と伝えると飛び上がらんばかりの満面の笑みで喜んでいました。それから、少し時間が経つたびに「おかわりはいらない?」と聞いてまた作りたそうにしていたのが印象的でした。

それ以上でもそれ以下でもない

僕はこの息子の「お父さんのために何かしてあげたい」という気持ちから気づきを与えてもらいました。それは僕の天の父に対する態度に関してです。僕も自分の息子のように、いつも天のお父さんのために喜んで何かしたい。そして、何かしてほしいことがないか、何かできることはないか、お父さんの必要に対して関心を持つものでありたいと思わされました。

僕は昔はぶつくさ言いながら教会の奉仕をしていました。それから戒められ教えられ訓練され、今はどのような奉仕をするにしても祈って備えるようにしているので、そういった気持ちはなく感謝の心でしています。しかし、それ以上でもそれ以下でもないと思ったのです。

何か僕にできることはありますか?

つまり僕の奉仕に対する姿勢は「与えられている、やらないといけない奉仕は感謝してする」という必ずしも積極的な姿勢ではなかったと気づかされたのです。息子は何かすること自体に喜びを感じていました。また次の必要を欲しがっていました。僕には天のお父さんに対してそこまでの関心はなかったのです。

それから、祈りを変えるようにしました。

「今日、何か僕にできることはありますか?誰かに会いに行ったり、連絡をとったりしたほうがいい人はいますか?また誰かに言葉をかける必要がありますか?また僕は今何に対して祈らないといけないですか?誰のことをとりなして祈ったほうがいいですか?」

天のお父様に喜びと僕の愛を感じてもらいたい

僕は愚か者なので、「主との愛の関係」というと自分が満たされることばかり考えてしまいます。主の中にある平安、喜び、愛を感じたいと思ってしまうのです。そういった願望は決して間違いではありません。しかし、愛は双方向です。天のお父様に喜びと僕の愛を感じてもらいたいと思っています。

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