スピリチュアル
「霊的なこと」と聞くとおそらく、神秘的、超自然的、奇跡、しるし、不思議などを想起されるのではないかと思います。それらに共通するのは現象です。見えないものを感じることができる、それが霊的なことと思われることがあります。
その理由としては、霊的と言う言葉が英語ではスピリチュアルであり、日本語のスピリチュアルがそのようなイメージをもつからだと思います。英語のスピリチュアルと意味において、だいぶずれがあるのではないかと思っています。
御言に属する
その点、聖書は明確です。霊的とはロギコスであり、ロゴス(御言)に由来する言葉です。理性的な・御言にかなった・内面的な・霊的なという幅広い意味を持ちます。つまり何か現象が起きることだけ霊的なことではないのです。たとえ、何も起きてないように思うことでも、現象が何も起きなくても、心の中で深い感動がなかったとしても、御言に属することこそが霊的なのです。
必ずしも超自然的な愉悦を感じる祈りだけが霊的なことではありません。御言を読むこと、黙想すること、御言に従おうとすること、御言を実行すること、これらすべてが霊的です。
なんのしるしも与えられない
もちろん、神は御心に叶った超自然的なことをしてくださるお方です。神には何でもできないことはないので簡単なものです。しかし、それらは、御心に従って行われるものです。聖書にはこのようにあります。神にはしるしも奇跡もできますが、それ自体を求めるのは間違っているのです。
マタイによる福音書 12:39
すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
またこのような御言もあります。救いに至るために必要なのは聖書の御言だけで充分なのです。
ルカによる福音書 16:29
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
御言そのもの
僕はどちらかといえば超自然的な体験をして主に出会った者なので、主がしるしや不思議や奇跡をしてくださることを喜びます。それら自分の魂にとってはわかりやすいからです。しかし、冒頭にも書いたようにそれらだけが霊的なものではありません。
霊的なものとは御言そのものだからです。だから、御言があれば十分であり、それを味わうことこそが霊的な生活なのだと思っています。僕は最近この御言を机の上にはっています。昔は幼子でした。今は大人になれるよう主に祈っています。
コリント人への第一の手紙 13:11
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。













