1893_アビラのテレサ著の「霊魂の城」やイグナチオ・デ・ロヨラ著の「霊操」 | 霊的実践

霊的実践

昨日は僕がずっとカトリックに対して抱いていた偏見を悔い改めたということを書きました。昨日も書きましたが、カトリックほど祈りや霊的実践に対して具体的で実用的な方法を提示してる宗派はないのではないかと思わされています。

もちろん、カトリック以外のその他が祈りに専念していないというわけではありません。しかし、言語化して信徒に伝達するという意味において、カトリックは長けていると思うのです。特にイグナチオ・デ・ロヨラ著の「霊操」(英語名はSpiritual Exercises)には祈りに関して非常に具体的な手法が書かれています。

カトリックには、黙想、観想、潜心、静穏の祈りなどがあります。それらをどのように行えばいいのかが具体的に示されているのです。霊的祈りに導かれたい人は、それを学習して実践し訓練することができるのです。

ブラックボックス

僕はペンテコステ派出身で今は福音派の教会に行っています。ペンテコステ派はよく祈る宗派です。しかし、僕は集会で異言で祈るということ以外に個人的にどのよう祈るかについての実践的で具体的な手法の教育を受けたことはありません。つまり、個人的な霊的実践は悪く言えばブラックボックスになっており、個人に委ねられているのです。

さらに福音派についていえば、もっとブラックボックス化しています。集会の時も知性の祈り一択で、特に集会時に長時間の祈りの時間はないからです。そしてペンテコステ派同様に個人的にどのよう祈るかについての実践的で具体的な手法の教えはありません。あっても、デボーションという聖書を読んでみ言を黙想して賛美し祈るというものです。

僕はプロテスタントの各宗派の牧師先生や教職者、宣教師の方が非常によく祈り、祈り抜き、霊的実践をされていることを知っています。問題は言語化して伝達し訓練できる状態になっていないことだと思います。個人における霊的実践は訓練されないといけないと思っています。

テモテへの第一の手紙 4:8
からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。

美しい城

さらに、アビラのテレサ著の「霊魂の城」(英語名はThe Interior Castle)という書籍もいい意味でとんでもない内容になっています。なぜ、クリスチャンの先輩がこの書籍をすすめてくれなかったのかと思うほど、極めて霊的に濃厚で深い内容になっています。

この本は魂の成長を「美しい城」にたとえて説明した本です。人の魂の中心には神がおられ祈りと清めを通外側の部屋から少しずつ中心へ近づいていくと語られます。特に有名なのは「魂の中心は水晶の城のように輝いている」というイメージです。

そもそも僕がコリント人の手紙に書かれている「内なる人」という言葉を正しく理解するようになったのは、アテフ・メシュレキー著の「内なる人~キリストが内に形造られる~」を読んでからでした。この方もカトリックの方です。

既に心におられるイエス様

決してネガティブなことを書きたいわけではありませんが、ペンテコステ派の祈りは外から聖霊が注がれるというイメージが強すぎると思っています。車にガソリンが満たされるがごとく、聖霊に満たされて霊的恍惚感を味わうというものです。

それも大切です。しかし、既に心におられるイエス様を中心に祈るには信仰があれば十分なのです。

エペソ人への手紙 3:17
また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、