万事オッケー!
キリスト教界隈ではよくこのような言葉を聞くことがあります。それは「結局、十字架で何でも赦されるやん」というような言葉です。その言葉の裏には「何をしても大丈夫、最後に悔い改めたら万事オッケー!」というような信仰姿勢です。
確かに心から悔い改めるならば、主はそれを赦してくださいます。それは主が真実で正しいお方だからです。
ヨハネの第一の手紙 1:9
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
今後はもう罪を犯さないように
しかし、僕の過去の実体験から話せば「何をしても大丈夫、最後に悔い改めたら万事オッケー!」というような信仰姿勢では心から悔い改めることはできませんでした。なぜなら、多くの場合、悔いて終わるだけだからです。聖書の原則は悔いて、さらに改めるところにあります。イエスさまはこうおしゃいました。
ヨハネによる福音書 8:11
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
唯一罰する権利のあるイエス様は罰することをされませんでした。この女性は主の途方もないほどの愛と恵みと憐れみに触れ、深く悔いたでしょう。そして、最後にイエス様がおっしゃったように罪を犯さないと決心した(改める)に違いありません。
愛のゆえ
イエス様の十字架には愛と恵みと憐れみが満ちています。そして、心から悔いてへりくだってイエス様のところに行くのであれば誰であっても罪は許されます。そして、その時にイエス様は同じようにこのようにおっしゃいます。
「今後はもう罪を犯さないように」
それはなぜでしょうか。もう二度と罪に苦しまないためです。もう二度とイエス様から離れて間違った自由のほうへ惹かれていかないためです。イエス様がこうおっしゃるのはただ愛のゆえです。
あなたは本当にそのように生きたいのか?
僕は告白します。これまで何度もイエス様の十字架で罪が赦されたにもかかわらず、再び罪を犯す選択を自らしたことを。僕は告白します。これまで何度もイエス様中心に歩むと決意したにもかかわらず、すぐに手のひらを返してきたことを。
主の語りかけは僕にとって驚くほど優しいものでした。「あなたは本当にそのように生きたいのか?」
僕は答えました。「主よ。もう十分です。いつもあなたと一緒に生きることを選びます。」













