1879_食欲に対してAGERE CONTRAする必要あるか? | 食欲は立派な欲望

供給が需要を生む

昔、中国で仕事をしていた時に毎日のように職場近くのマクドナルドへ行ってランチを食べていました。理由としては、不衛生な厨房で作られた油っこい中華料理を食べるよりは、むしろ振り切って大手チェーンのほうがヘルシーフードだと思うようになったからです。

しかし、もし、職場近くにマクドナルドがなければそこに行くことはなかったでしょう。ここから需要が供給を生む場合もあるが、「供給が需要を生む」場合もあることがわかります。そこにマクドナルドがあったから(供給)、僕は行っていた(需要)にすぎないのです。

これでいい

似たようなことを先日思いました。それは「実は腹はそれほど減っていないのではないか」という仮説です。確かにお腹は減りますが、そのほとんどは食欲をそそる魅力的で強烈な供給(食事)があるから、需要(食欲)が生み出されているにすぎないと思うようになったのです。

そう思ってから、朝食や昼食にオートミールをとるようなりました。オートミールを始めてみた時はハムスターのエサかと思いました。こんなものがおいしいのだろうか
と思って口にしたところ「これでいい」となってしまったのです。もちろん、粗末な食事では栄養が偏るので、ギリシャヨーグルトなどたんぱく質を多く取るようにはしています。

反対に行動する

僕がこのように考えるようになったのは先日もブログに書いたようにAGERE CONTRA(アジェイラ コントラ)という考え方を生活に導入したからです。これはイグナチオ・デ・ロヨラ著の「霊操」に書かれている言葉でラテン語で、「反対に行動する」「逆らって行う」という意味です。

たとえば、怠けたいと思ったら、あえて行動する。偉くなりたいと思ったら、へりくだる。怒りたくなったら、静まる。のように「自分の不健全な傾向に対抗する行動を意志的に選ぶ」ということを意味します。僕は何かおいしいものを食べたいと思った時にあえて粗食にするということを選択したのです。

欲望を制御できない

なぜ、そこまでする必要があるのでしょうか?聖書には肉の欲、目の欲、持ち物の誇りはこの世に属するものだと書いています。

ヨハネの第一の手紙 2:16
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。

食欲とは肉の欲の一つです。食欲が人に与える影響は想像以上に大きいです。その欲望を制御できないから、エサウは長子の特権を失いました。そして現代では制御できないから、肥満や不健康に陥り、ダイエットに失敗するのです。だから、食欲を甘くみてはいけないと思っています。そして聖書はこのように言っています。

ヘブル人への手紙 13:9
さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。

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