1841_人を神に近づける補助線 | 三位一体

ヒューマニズム

連日、僕は父としての自分、また子としての自分、さらに自分の子供の視点から、天の父とイエス様に思いを馳せることをしてきました。

僕は昔、ある先生がこのように言うのを聞いたことがあります。「この地上での父子関係から聖書の神の愛を論ずるのはヒューマニズムだ」という意見です。

僕は長い間、それをそのまま受け止めていました。人間的に天の父やイエス様の愛に思いを馳せることは人間的だと思い込んでいたのです。しかし、実際、自分の立場が変わるにつれて、そうせざるを得ない。むしろ、それが一つの原則、あるいは霊的な補助線になるとも思うようになったのです。

聖霊なしに人は神を知ることはできない

なぜなら、そもそも三位一体という教義が人知を超えています。それを人間は真に理解することはできないというのが僕の姿勢です。だから、この教義の前に人は神の前にへりくだらざるを得なくなるのです。しかし、神はご自身を人類に掲示してくださいました。

それこそが聖霊です。聖霊なしに人は神を知ることはできません。神の心を知ることもできません。聖霊こそが人が神とともに生きるための助け主です。しかし、その一方で、聖霊があればすべてOKというわけではないのも事実です。

真理の御霊

たしかに、知識も必要なのです。それは神学といわれています。霊において神を理解する前提の上に知識においても人は神を知ることができます。そして今日僕が伝えたいことは人間の父子関係によても神を知ることができるというものです。

もちろん、神を知るための最も大切なものは聖霊のほかありません。

ヨハネによる福音書 16:13
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

ヨハネの第一の手紙 2:27
あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。

補助線にもなり得る

僕が言いたいことは神学や父子関係が神を理解する上での補助線にもなり得るということです。だから、仮に神学を追求しすぎてもそれは人を神に近づけるものにはなりません。それは補助線にしかならないからです。同じように父子関係を追求しても人を神に近づけることにはなりません。それも補助線にしかならないからです。

そう理解すれば、僕は冒頭の先生の言葉を自分なりに咀嚼して受け入れることができました。