1647_天のふるさとを当たり前の場所と思う理由

いよいよ秋が到来

ここ数日、いよいよ秋が到来したと感じさせる気候が続いています。学生時代から秋は最もエモい季節であり、39歳になった今でも秋を愛でています。秋の雰囲気や空気感、香りなどがドンピシャで僕の1年間エネルギーはほとんど秋に蓄えられていると言っても過言ではないと思います。

3年2022年の9月20日に僕の一年は秋から始まるので、秋に年末年始を迎える的な一般の人には理解しがたい感想がかかれていました。

0544_2022年度の総括

ほっとする

学生時代はなんとなく秋が好きだったのですが、今では死活問題と思えるほどに秋に飢え乾いています。それは、昨今の夏が異常に暑すぎるからです。今年から本格的に日傘を使い始めたとブログでも書きましたが、本当に宇宙全体、万物が人間を殺しにかかっているようにしか思えません。これは自然の反逆だと思います。

1625_男性が日傘をするのはありか?なしか?

だから、秋が来ると「エモい!」とテンションが上がるよりも、ほっとするようになりました。その他の季節が好きな人には申し訳ないですが、ずっと秋が続けばいいのにと思ってしまいます。

天のふるさと

そう思うと、意識が天のふるさとに向きます。なぜなら、この地上ではそのような桃源郷はどこにも存在しませんが、帰るべきところ、天国、天のふるさとはまさに桃源郷以上の場所だからです。

今は一年の間のわずか数か月しか秋を堪能できない。むしろ、今後、ますます秋が短くなりなくなってしまうかもしれない。しかし、帰るべきところには秋はなかったとしても、主を賛美し、主に仕える素晴らしいところが待っていると思うからです。

天のふるさとを当たり前の場所と思う理由

ある人は、「そう思えるだけ幸せ」とか「本当にそんな場所があったらいいのにな」くらいにしか受け止められないかもしれませんが、クリスチャンはもれなく天国の前味を味わっているものです。

礼拝や個人的な主との深い交わりの祈りの中で「これは至福の時だ」というのを味わいます。だからこそ、クリスチャンは天国という場所を「あればいいな」ではなくて、「絶対に存在する場所」として当たり前のものとして捉えています。

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