縮小のサイクル
昨日はサイクルについて書きました。人はすべからず必ず様々なサイクルの中で生きています。それは四季であり、世代であり、潮流であったりします。もし、自身がサイクルのどの位置にいるかがわからなければ正しい判断ができなくなります。時代遅れ、時代齟齬と言われてしまうのです。
日本のキリスト教会は確実に縮小のサイクルに入っていると思います。繫栄している教会も多くあると思います。しかし、少なくとも僕が所属している教団は既に教会閉鎖、規模の縮小、統合が始まっており、次のフェーズの移行期真っただ中にあります。
この現実を見て何をしますか?
ある人は「不信仰だ!」と言われるかもしれませんが、少子高齢化、地方の過疎化、コミュニティーの衰退などを見ると、キリスト教の衰退は既に起こった未来とまで言えるかもしれません。その中でどのように信仰を働かせるかが問われているのだと思います。
その中で「あなたはこの現実を見て何をしますか?どう思いますか?」と主に問われていると思わされました。
救霊のために祈る
僕にとって最も簡単にできることは教会の奉仕をすることです。これは役割が与えられ、その枠内に入ってしまえばほぼ自動で回ります。言い換えれば、これは最小コストで主に仕えることができための素晴らしいシステムです。これはクリスチャン生活の土台だと思います。
しかし、自分にとって難しいと思うことがあります。それは救霊のために祈るということです。これこそが最も大切なことだとわかっていても、僕の肉は当然それをしたがらないのです。救霊のために祈るというのは、主と心が一つにならないとできません。なぜなら、肉の人にとっては救霊ほど無価値なものはないからです。しかし、霊にとってはこれほど価値のあることはありません。
失われた苦しんでいる魂
以前も書きましたが、今自分の中でチャレンジを受けているのが家庭集会を持つことです。今は家庭の状況的にすぐに実行に移すことはできないですが、ビジョンを少しずつ見させてくださっています。
当然のことながら、教会の出席者数が減っているから宣教を頑張るのではありません。教会が衰退しているから福音宣教に励むのではありません。むしろ、目の前にいる失われた苦しんでいる魂のために福音宣教をするのが当然の姿勢です。
今の僕にはそれができていないので、今日も主の前にこうべを垂れて祈りたいと思います。