1895_信仰観の変化について | かつては幼子らしく語り、感じ、考えていた
強く押し迫ってくる感覚 昨日は自身の信仰が成長しているかをどのようにして知ることができるのか?と言うことについて書きました。今日は僕の信仰観の変化について書こうと思います。まず、僕が救われた当時は聖霊の満たしや聖霊の導き…
キリスト教信仰
強く押し迫ってくる感覚 昨日は自身の信仰が成長しているかをどのようにして知ることができるのか?と言うことについて書きました。今日は僕の信仰観の変化について書こうと思います。まず、僕が救われた当時は聖霊の満たしや聖霊の導き…
キリスト教信仰
本家よりもいいものが生まれる YoutubeやSNSが出てきてから、コンテンツにおいてこのような現象が起こるようになったと思います。それは「本家よりもいいものが生まれる」ということです。たとえば、誰かが作詞作曲をして歌い…
キリスト教信仰
筋トレ系Youtubeチャンネル 昨日に引き続き、今日も筋トレのことを書こうと思います。僕はいくつか筋トレ系Youtubeチャンネルを登録しているのですが、時々筋トレ系ユーチューバー同士がコラボすることがあります。筋トレ…
キリスト教信仰
1時間祈る時間 今日も祈りについて書きます。 https://jesus.tokyo/faith/1861_praying-silently-amidst-the-tranquility-of-nature-time-s…
キリスト教信仰
声に出して祈る 「祈り」ほどクリスチャンによって捉え方に差があるものはないのではないでしょうか?賛美であればジャンルや形式を問わなければ、立ち、あるいは座って主に向かって奏楽に合わせて声を出して歌うということに大きな違い…
キリスト教信仰
祈りとは? 先日から祈りの生活のことを書いています。人によって祈りの生活と言ってもイメージされるものは様々だと思います。そもそも祈り自体のイメージすらも違うことがあると思います。ある人の祈りは願い事を伝えるだけが祈りだと…
キリスト教信仰
祈りの生活をしたい 先日からイグナチオ・デ・ロヨラの著書である「霊操」を読んでいます。彼は日本の小学校の歴史の教科書にも登場するあのイエズス会の創立者の1人であり、初代総長を務めた人物でもあります。なので、カトリックの人…
キリスト教信仰
謙遜はやろうと思ってできるものではない 聖書にはクリスチャンがどう生きるべきかが記載されています。その最たるものが第一に神を愛すること、次に自分を愛するように隣人を愛することです。その他、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自…
キリスト教信仰
これではだめだ 昨日はなぜ祈りを習慣化するのが難しいのか?ということについて書きました。色々な理由は確かにあるのですが、霊の領域において最大のものは悪の勢力、サタンがそれを全力で阻止しようとするからと書きました。ですので…
キリスト教信仰
長期間継続しない 最近、ようやく自身の祈りの神殿が再建されつつあるのを感じてます。といっても僕の祈りの神殿は情けないながら、これまで再建されては崩れてを繰り返してきています。このブログの読者であれば僕が教会のサマーキャン…
未分類
鵜呑みにしてもいいのか? 今やYoutubeやX(旧Twitter)など各種SNSで説教や情報を収集できるようになりました。このブログもそのうちの一つだと思います。その中で自戒を込めて書きたいことがあります。それは「その…
キリスト教信仰
キリスト教の停滞 なぜ日本のキリスト教は停滞しているのでしょうか。霊的なブレイクスルーがされていないからでしょうか。信仰が足りないからでしょうか。神道が日本のいたるところに浸透しているからでしょうか。戦後、高度経済成長を…
キリスト教信仰
やばい人もいるしいい人 昨日は能力だけではなく、徳や品性と言われるものまでも先天的にある程度まで決まっているということを書きました。こういったことは、あまり言語化されることはなかったかもしれません。しかし、実社会を見ると…
キリスト教信仰
あるべき姿 聖書の言葉にこのような言葉があるのか知りませんが、キリスト教会にはこのような言葉があります。 「栄光は主のもの、恥は我がもの」 僕はこの言葉を聞くと、バプテスマのヨハネの言葉を思いだします。それはこれです。 …
キリスト教信仰
キリスト教信仰の醍醐味 自分のこれまでの信仰生活を振り返って、僕は教会に毎週行くだけでは現状維持すらできなかったと思っています。なぜなら、おそろしいことにキリストとの親密な関係がなくても教会に行くことはできるからです。ま…
キリスト教信仰
主に対して顔向けできない 僕は教会の奉仕をする時に時々こう思うことがあります。それは「僕なんかを通して主が栄光を現わさなくてもいいのに」ということです。何メンヘラのようなこと言ってんだと思われると思います。しかし、僕は多…
キリスト教信仰
ヤコブの手紙 先日ヤコブの手紙を読みました。ヤコブの手紙は僕にとって強烈な指圧棒で霊的なツボをゴリゴリ押される書物です。つまり、読んでいて痛いと感じるのです。なぜなら、僕は典型的な行動を伴わないに口だけのタイプのクリスチ…
キリスト教信仰
どのような状態 「自分の信仰は今どのような状態にあるか?」を確認するために僕はいくつかの指標を使っています。わかりやすいものでいえば「最近祈っているか?」や「聖書を読んでいるか?」などがあります。祈れば力があるが祈らなけ…
キリスト教信仰
へりくだり キリスト教信仰は「へりくだり」抜きにはありえません。それは「へりくだり」が悔い改め、自己否定、降参など主の前に出るために必要な多くの要素を内包しているからです。だから、すべてのクリスチャンにとってへりくだりは…
キリスト教信仰
美しい心象風景 いつまでも美しい心象風景として記憶として残っていることがあります。僕の場合、そのほとんどはある時の礼拝や集会の記憶です。主が深く心に触れてくださること、またご臨在くださることほど美しいものはありません。人…