小事に忠実な人は、大事にも忠実
聖書にはこのような言葉があります。
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
ルカ16:10
人には小さいことよりも大きいことを好む性質があるのかもしれません。小さい会社よりも大きい会社。小さく地味に見える仕事よりも大きい華やかな仕事。などです。
確かにより責任の大きい仕事を任せられることはうれしいものだと思います。なぜなら、それは自分にそれを遂行する能力があることを認められ信頼されていることの証だからです。
世の中における原理原則でもある
そのように周りから信頼されて仕事を任せられる人というのは、小さい仕事に対して忠実であったからだと思います。単純な作業と思えることでも、人から評価されないと思えるようなことでも、愚直に真面目に取り組んだからこそより大きな仕事が任せてもらえるのだと思います。
しかし、この聖書箇所はこういった人間が生きている世界での原理原則や処世術のレベルで話をしているわけではないと思います。
システムにおける権限
これから僕が書こうと思っていることはそういうことなのかな~というレベルなのですが、思ったことを書こうと思います。それはシステムにおける権限の話です。
システムには必ず権限が厳密に分けられています。例えば管理者や一般ユーザーなどです。対応可能な操作はCRUDと分けられていて、Create(新規作成)、Read(閲覧)、Update(更新)、Delete(削除)があります。
例えば、管理者にはCRUDすべての操作権限がありますが、一般ユーザーにはRead(閲覧)権限しかない場合があります。それは、新規作成や編集や削除はデータベースの完全性に影響を与える非常に重要な操作だからです。
もし一般ユーザーが適当な操作をしてデータを削除してしまったら大変なことになるからです。ですので、しかるべき者にしかしかるべき権限を付与しないのはシステムでは当然のことです。
単純作業であっても
僕は開発者ではないので、データに対して管理者権限はありません。ですので、お客さんから何が依頼があった場合は必ずエンジニアの方に依頼しています。それは時間を変更するとか一部データを変えるとか簡単な操作がほとんどで、いわば単純作業。言ってしまえば僕にもできるものです。
しかし、僕がそういった作業をしないのには理由があります。それは、権限が大きすぎるからです。たとえやっていることは小さく見えても権限は非常に大きいのです。
僕が書きたかったことは神様の働きにおいて、一見小さく見えることでも実は権限が大きい場合が多いのではないか?ということです。例えば教会の掃除の奉仕一つにしても、神の家である教会を掃除するのというのは非常に大きい権限なのではないでしょうか。なぜなら作業のいかんによって清潔さなどが左右されるからです。
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
ルカ16:10