意見の衝突が起きた時
僕は意見の衝突が起きた時に、冷静に話しているつもりでも、気持ちが熱くなってしまうことがあります。元来のKYが発動し、猪突猛進的なところがあるので、誰も発言しなくても、違うと思ったら、同僚でも上司でも意見を言ってしまいます。自分の中でどうでもいいことやあまり自分と関係のないことだと黙って過ごしますが、自分が当事者の場合、黙っていられなくなるのです。
政治に関しては、多くの人は自分たちの生活に直接関係することに関心が向かうことでしょう。高齢の方だと年金、子育て世代だと子育て支援、単身だと様々な補助などかもしれません。多くの場合、当事者になると行動は起こさなくても黙ってはいられなくなるものです。
忍耐で自分を治められる人
たまに会議が終わった後に、関係者がいない場で、さきほどの会議のぐちを言ったりする人もいますが、それなら、なぜそれを本人に直接言わなかったのか?と思ってしまいます。波風立たせずにその場では表面的にはうまくやり過ごすことができたとしても、その人の心の中では荒波が立っているのです。
もちろん、忍耐強く自分を治めることをわきまえている人は、心の中でどんな感情が沸き起こっても、それを愚痴として放出することなく、自己処理できると思います。キリスト教では信仰や愛と同じように忍耐も非常に大切な徳としているので、ぐっとこらえて、その気持を神様のところにもっていくのがクリスチャンとしての正攻法なのかもしれません。
しかし、人の間で生きている以上、プロジェクトを進めていく上では、意見の衝突がないほうがおかしいと思います。ゼネラル・モーターズのアルフレッド・P・スローンズは会議の時にこのように言っていたようです。
「皆さん、本決定については全員賛成でよろしいのかな?」。そして委員会の各メンバーが頷くのを待ってから、こう続けた。「では、次の会議までこの件に関する議論は延期します。この決定が持つ意味について理解し、反対意見が出るまで時間をおきましょう」
ベストを尽くす
もちろん、すべてのプロジェクトが完璧な体制で進められるとは限りません。仮に今の進め方がおかしいと思っても、限られたリソースですすめるしかない場合があり、スケジュールもキツキツで間に合うかどうかわからない場合も、割とあります。
そういう場合は、現在の体制や進め方に、意見を言うのはいいと思いますが、愚痴を言うのではなくて、今自分が置かれているリソースで最大限の努力をしようと決めてしまって前に進むのがいいと思っています。
■その場で、意見を言うべきか、いわないかはケース・バイ・ケースだろう
■やるべきことは協力してベストを尽くすだけ