定量化してみた
福音派もペンテコステ派も聖書を大切にしています。いずれも同じくらい大切にしていると思います。しかし、ペンテコステ派は祈りにも重点をおいています。これはこのような理解になると思っています。
たとえば、単純に10時間の可処分時間があるとします。ざっくり福音派の場合は、8時間は聖書で、2時間は祈り。ペンテコステ派の場合は3時間は聖書で祈りは7時間といった具合です。これはきっと反論もあると思います。
体験的に感じて数字
これは僕がペンテコステ派の教会で救われ、現在福音派の教会に通っており両方を体験的に感じて数字で表したものです。もちろん僕の主観であり間違っている可能性があります。礼拝の形式、教会の活動、祈祷会の内容から判断して、おおよそこの数字に近いのではないかと思っています。
ある人は無理やり定量化するな!とおっしゃるかもしれません。量より質だとおっしゃるかもしれません。しかし、質の高い祈りができているなど誰にわかるのでしょう。僕は自分の祈りの質が高いとも思っていません。むしろ量でいくしかないと思っています。さらに可処分時間を祈りに投入することは大切だと思っています。
現象重視の集会
だから、ペンテコステ派が相対的に聖書の御言を疎かにし、祈りや霊的な体験や奇跡などに偏っているという指摘は実情とは全く合っていないと思うのが僕の本音です。さらに、昔のペンテコステ派と今のペンテコステ派ではだいぶ変わってきているというのもあります。
昔のペンテコステ派は海外からカリスマ的な指導者を招いてはリバイバル聖会を開催して現象重視の集会をしていました。僕の目から見た場合、不信仰者かと思われるかもしれませんが、ほとんどパフォーマンス重視のようにも思っていました。
もちろん、神様は今も癒し、奇跡、不思議ができると信じています。しかし、それは御心にかない、必要だと判断された時にだけ起こるものであり、現象を追求するべきではありません。
筋肉質な教派
じゃあ、今のペンテコステ派はどうでしょうか?偉そうに映るかもしれませんが、僕自身はこう思っています。今のペンテコステ派はかつての熱狂や現象主義が消え、さらに信徒も淘汰され、洗練された筋肉質な教派になっているということです。世代が変わってきているというのもあると思います。
僕はこのブログでは何度も書いていますが、福音派とペンテコステ派がそれぞれの良いところリスペクトしあって日本の宣教のために手を取り合っていくことを祈り、夢見ています。













