0382_わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、 今はわたしの目であなたを拝見いたします。

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Spotifyを聴いていたら

仕事の帰り道、電車の中でSpotifyを聴いていたら、高校生の時によく聴いていた賛美が流れ始めて、一気に当時の空気感に包み込まれてしまいました。当時の僕は、それまで知識として知っていたイエス・キリストがただの歴史上の人物や観念上の存在ではないことを初めて知りました。本当に復活して、今も生きておられるということを魂において知った時の喜びが電車内で、静かによみがえってきたのです。

確かに共にいてくださるという実感。この方だけは僕を裏切らない。この方だけが僕の本当の渇きを満たしてくださるお方。この方と共にいる時、特に奉仕している時、祈っている時、礼拝している時の心の平安は天国そのものだと夢中になって教会に行っていたのを思い出しました。

高校生の時の悩み

それと同時に、もし、あの時にイエス・キリストに出会っていなければ、今頃自分は何をしているのだろうと思いました。今から思うと、高校生の時の自分の悩みなどは大したものではなかったと思いますが、僕は遅めに中二病に罹患していたこともあり、直面している問題をかなり深刻に捉えていました。

恋愛、友人、将来のこと、すべてが雲を掴むような不確かな存在で、ただただ虚しいという気持ちしかありませんでした。さらに中二病特有の肥大化した自己と現実の自分とのギャップにも幻滅していました。

エレキギターをアンプに差して爆音で鳴らせば簡単に自分を肥大化できました。また、ブレイクダンスをしたり、BMXに乗ったり何かと虚勢をはっていたように思います。それだけ自分に自信がなかったんだと思います。

主に出会うとき

しかし、周りの人がクリスチャンで、その影響を受けたり、祈られてきたこともあり、次第に「もし本当に神がいるなら」という予感が湧いてきました。そして、引き寄せられるように教会での礼拝に真剣に取り組むようになり、予感が実感になり、祈りの中で、自分を注ぎだした時に、初めてイエス・キリストという存在が確信に変わりました。この御言のとおりです。

わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、
今はわたしの目であなたを拝見いたします。
ヨブ記42:5

イエス・キリストはなんてすばらしいお方何だろう。なんと美しいお方なんだろう。この方の栄光を拝し仕えることができるなら、この地上のものなど何もいらないと思えるほどの感動でした。

あれから、20年近く経過し、今ではすっかり大人になった気だけしているのかもしれません。大人のクリスチャンはこんなもんだと思っている自分がいるかもしれません。でも、主の召しと賜物とは変わることがないように、あの頃の感動も決して色褪せることなく、むしろ、あの時以上の感動を主は与え続けてくださるお方です。

固定観念、既成事実、慣習などの当たり前に染まってしまうのではなく、主ご自身の恵みに染まって、あのイエス様の空気感を色んなひとを巻き込んで味わいたいと思いました。

おっさん
■キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることがない
■イエス様に出会った時以上の感動を主は必ず与えてくださる
■その感動に周りを巻き込むことができれば、喜びはもっと満ち溢れるだろう

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