022_フォロー中が1あれば、フォロワーは0でもなんとかなる

先日、マーケティングに関して、ある人が、「どんな人でも最初は、みんなフォロワー0からスタートだ」と言っているのを聞いて、なるほど、と思いました。著名な方たちは、注目される頃には既に一定以上のフォロワーがいるものですが、決して最初からそうだったわけではありません。

大阪の人口約880万人に匹敵するチャンネル登録者数を有する某Youtuberであっても、必ず、Youtubeのアカウントを開設した時があったはずです。その時、チャンネル登録者は0で、最初の動画もアップロードした時は、再生回数は0であったと思います。

聖書の人物もフォロワー0が多いです。預言者エレミヤとか、ヨブとかまさにそうです。例えば、ヤコブは兄と仲違いをして故郷を脱出し、ハランにすむ伯父ラバンのもとに身を寄せた時、彼にはフォロワーがいませんでした。また、ヨセフがエジプトに奴隷として売られた時も、しかりです。

ただ、彼らは唯一の真の神をフォローしていました。主の導きを信じ、従い、彼により頼んで生きていました。

ですので、聖書の生き方は単純明快です。自分のフォロワーは0でもいいから、神様をフォローし続けさえすればいいのです。そうすれば、必ず、神様が道を開いてくださると信じています。

最近では、「フォロワー数があると正義だ」という言い方もあるようです。そんな正義はほうっておいて、自分のフォロワーは0でもいいので、義なるイエス・キリストに対してフォローバックです。

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ヨハネ黙示録3:20(口語訳)

今でこそ、67億人いるキリスト教人口も最初はフォロワー0人だったと思います。福音書にかかれているように、イエス・キリストが弟子候補生に一人ひとりに「私に従ってきなさい。(Follow me.)」と声をかけて、フォロワーを増やしていかれました。今もイエス様は声をかけ続けておられます。