ルーティンをすることで安心感がある
先日子供と一緒に散歩に行きました。散歩ルートは毎回同じで、彼にもルーティンがあるみたいで毎回同じことします。
まずしばらく行ったところに生えているねこじゃらしを一本抜いて自分の虫かごに入れます。そのあと、また進んでから川を覗き込んで「かめしゃん、いない」と亀がりるかどうかチェックします。
毎回決まったルーティンをすることで安心感があるのは子供も大人も同じなんだと思いました。
自分にはできないことをしている
先日も子供から学んだことがありました。それは散歩をしている前方から普通のママチャリに乗ったおじさんが向かってきた時のことでした。
僕が歩みを止めて道路の端でストップすると、子供は向かってくるおじさんを指さして「自転車かっこいい!」と絶賛していたのです。それを聞いたおじさんは少し恥ずかしそうな顔をして過ぎ去っていきました。
車をかっこいいというのはわからないにしても自転車をかっこいいというのはとても面白いと思いました。それも別にBMXのように何かかっこいいトリックをしたわけでもなく日常使いで乗っているだけなのにです。
一般的には自転車は小学生低学年くらいから乗れるようになるものなので乗れたところで別にかっこいいものではありません。しかし、子供にとってみたら自分にはできないことをしているのでかっこよく見えたのだと思いました。
神様の何がすごい?
僕はこの出来事を思いめぐらしながら散歩しました。そうだと思いました。きっと神様を礼拝することはこれに近いのだと思いました。なぜなら、人は神様はすごい!と思って礼拝するものだからと思ったからです。
では神様の何がすごいのでしょうか?まずはイエス様による十字架の贖いの完成です。これは全宇宙で最もすごいことです。これ以上に偉大なわざはありません。その他、神様が創造されたこの世界にも目をやると神様のすごさがわかります。
また自分の心に目をやるともっとすごいことがわかります。なぜなら、自分では決して赦すことができなかった人が神様が心にいてくださることで赦せるようになったり、受け入れたり、愛したりできるようになるからです。
純粋な感動をもって
子供は自分にはできないことをしている人を見て「自転車かっこいい!」と絶賛しました。神様は僕にできないことばかりしていいます。本当なら僕は子供のように純粋な感動をもって主を賛美する存在なのにと思いました。