1252_よっしゃ!馬鹿にされた!嬉し!

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軽んじられたと感じること

先日仕事をする中で自分が非常に軽んじられたと感じることがありました。相手にはそういった意図はなかったと思いますし、自分自身も過度に意識過剰にとりすぎだとも客観的には思いました。しかし、主観は違います。心の中で腹が立つなぁと思っていることに気が付きました。

自分の中でこのネガティブな気持ち心の中で考えたり、誰かに話して膨らませることは自分の魂にとってよくないとはっきりわかりました。そんな時に先日ある牧師先生が語っていた言葉が思い出されました。

誰でも持っている肉の性質

牧師先生は『人間の肉にはある性質があります。それは誰でも持っています。それは「自分が軽んじられたくない。低くなりたくない。」というものです。』と語っておられました。確かに自分が馬鹿にされて、「よっしゃ!馬鹿にされた!嬉し!」と思う人はまずいないと思いますし、そういった誰でも持っている肉の性質が如実に表れているのがX(Twitter)などのSNSだと思います。

みんな自分の考えや価値観、自分の容姿や能力などを軽んじられたくないのです。低くなることも嫌がるものなのです。

最も低くなり続けられたお方

その牧師先生の言葉を思い出した時にさらに冷静になることができました。そしてこのように祈りました。

「イエス様は生まれた時から死ぬときまで軽んじられ続けて、最も低くなり続けられました。僕はなんでそんな些細なことで心が騒いでしまうのでしょうか。私の心の中を鎮めてください。」

詩篇でコラの子はこのように歌っています。

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。
詩篇42:5

わが魂よ、何ゆえ軽んじられたくらいで怒るのか

僕もこの詩篇を借用してこのように祈ろうと思いました。

「わが魂よ、何ゆえ軽んじられたくらいで怒るのか。
何ゆえわたしのうちに怒り燃え立つのか。
もっとも低い道を歩まれた神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。」

そうすると、本当にあら不思議、心の中にあった苛立ちが霧が晴れる如く消失していったのです。

最終的にはこのようになりたいものです。「よっしゃ!馬鹿にされた!嬉し!イエス様のへりくだりの道を歩める!」

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