教会における人間関係
教会における人間関係は世の中にあるものと少し違います。それは救われた者の神の家族としての関係があります。礼拝や奉仕をする中でキリストを中心として霊的につながっているという感覚はこの世では味わえない特別な祝福だと思います。
それ以外にも週に必ず1回は顔を合わすという単純接触的な違いもありますし、その関係が長期間にわたるという点も世の中の関係と大きく異なります。
教会における人間関係の特別さ
僕はこの教会関係における人間関係は素晴らしいものだと思っています。もちろん、僕は「教会の人間関係ほど面倒なものはない」と思ったことがないわけではありません。しかし、そういった考えは神様の御心から大きく外れており、悔い改めて今はそのように思っています。
自分が小さいころから、あるいは誰かが小さいころから僕が知っているというのは、世の中ではなかなかないのです。この世の中の関係は。小学校なり中学校なりわずか数年間の関係だったりすることが多いです。仕事においても今は転職が王道な時代になったので、何十年も同じ人たちと一緒にいるということが少なくなってきていると思います。
いつ会っても感謝が溢れる
その一方で教会は冒頭にも述べたように、長期間において単純接触数も多いので、想像以上に深い関係になることが多いです。
先日は久しぶりに以前の教会で知り合った友人に会いました。僕が高校生の時にその人は小学生です。それぞれが成長するにつれて、共に奉仕、礼拝、キャンプ、遊び、個人的には一緒に中国を旅行する仲になりました。
だいぶ久しぶりに会ったとしても、ほとんどありのままのお互いを知ってるので、肩の力を抜いて気楽に全裸的にコミュニケーションが取れるのです。何も虚勢を張る必要はありませんし、遠慮をする必要もありません。
そのように祈りたい
改めて教会でその人と出会わせてくださった神様に感謝しました。またそこに教会が存在しており、そこで召されたことにも感謝しました。
自分が今行っている教会においても、下の世代の人たちがそのように思ってもらえるような関係づくりや祈りをしていこうと強く決心しました。