1054_自分が思っている以上に自分は人を躓かせている

これまでどれほどの人を躓かせてきたのだろうか

先日子供を保育園に送るため自転車をこいでいた時にこのようなことを思いました。

「これまで人生のほとんどをクリスチャンとして歩んできたけど、これまでどれほどの人を躓かせてきたのだろうか」

確かにこれまでもクリスチャンとして歩む中で、人を躓かせてしまった!と思うことはありました。しかし、それはあくまでも僕が認識できているものにすぎません。実際はきっと僕が認識していないだけで多くの人を躓かせてきたんだと思いました。むしろ、そういった場合のほうが多いと思いました。

自分の本当の姿が見えないもの

僕は大いなる勘違いをしやすい人間ですので、先日まで知らない間に人を躓かせているとほとんど思ったことすらありませんでした。しかし、もしかしたら、人間にはそもそもそのように思う傾向があるのかもしれないと思いました。

人は大きな傾向として自分の本当の姿が見えないものです。だからこそ、SNSなどでは自分のことをさしおいて批判をしたりする人が多いのだと思います。しかし、客観的に自分を見るならば、あるいは、自分の悪いところを指摘してくれる良い友をもつならば自分の本当の姿を認識することができます。

当然のごとく、人は自覚しない限りは改善することはできません。

いかにして自分の本当の姿を知るか?

そう思った時に自分の人生をよくする秘訣のヒントが見つかりそうです。それは、いかにして自分の本当の姿を知るか?です。

上述した通り、人間は大きな傾向として自分の本当の姿がわからないものです。だからこそ、人は自分のことを棚に上げて人を非難したり、人を躓かせているかなどに思いを馳せたりもできないのです。

聖書は人間に本当の姿を示す

その点で聖書は人間に本当の姿を示します。それは「義人はいない。一人もいない。」という聖書の言葉であり、人間は元来の罪びとであるという姿です。そしてそれだけでなく、日々聖書という正しいコンパス、鏡によって自分の今の姿を認識することができるのです。

この素晴らしいコンパス、鏡が人類に与えられていることに関して聖書にはこのように書かれています。

われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。
申命記4:7-8

僕がすでに躓かせてしまった人に対しては祈ることしかできません。しかし、これから自分の姿を聖書に見出し人を少しでも躓かせない生き方でできるようにしていきたいと思います。

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