依頼ベースの祈り
最近信仰生活で目から鱗が落ちる出来事がありました。といっても聖書の言がやっと身に染みてわかっただけにすぎないのですが、これまでの致命的に間違っていた信仰生活を大いに是正することができました。
僕はイエス様との関係は愛に基づくものであり、個人的な関係とは理解していました。しかし、時として祈りが神様への依頼ベースになってしまう傾向があったことを否定できません。それがたとえ、とりなしの祈りであったとしても依頼ベースが多かったのです。
ある御言
しかし、先日僕の家の玄関に置いてある御言が入ったプレートが目に入りました。そこにはこのように書かれていました。
「私と私の家は主に仕える」
その時、「そうだ!」と思いました。神様に依頼ベースの祈りやクレクレいう前に、まず僕自身が神様に仕える側なのです。僕は思いました。これまでの祈りの中でどれほどこのような祈りをしてきただろうかと。
- イエス様、何かできることがあればおっしゃってください。
- イエス様、あなたのために僕ができることがあればおっしゃってください。
- イエス様、あなたの必要のために僕を用いてください。
恥ずかしながら、基本的に日々の祈りの80%くらいは依頼ベースの内容でした。さらに依頼ベースの祈りの中の80%くらいが自分に関して「助けてください」的な祈りで、残りの20%が他人のためのとりなしの祈りでした。
そして日々の祈りの体の20%くらいがイエス様との個人的な交わりの時間であったように思いました。僕はほとんど、イエス様が何を望んでおられるのか?イエス様は何をしてほしいのか?を無視していたのです。
依頼ベースの祈りも大切だが
もちろん、依頼ベースの祈りも大切です。聖書にもこのようにあるからです。
何事も思い煩ってはならない。 ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
ピリピ4:6
もしこれが営業マンだったら間違いなくできない営業マンでした。お客さんが望んでいることやしてほしいことを提供するのが営業の基本だとすると、僕とイエス様との関係は全く基本的なことすらできていなかったことになります。
これからは祈りを変えたいと思います。
「これから、新しい一日が始まります。あなたは私に何を望んでおられますか?あなたのために私ができることを教えてください。」