生き方の変化
僕は親になって生き方が変わったと思います。それは経済的にこどもを養わないといけないという責任から人生に適度な緊張感がもたらされたこともあります。また、これまでは自分の人生だけを考えていればよかったのですが、必然的にこどもの人生全体を考えるようになり、この先のこの世界に対して無関心でいられなくなったこともあります。
しかし何よりも自分が最も変わったのは信仰に関してでした。僕がこどもに残せる最大のものは信仰のほかにありません。僕自身が親から様々なものをもらってきましたが、最も価値があったのが信仰にほかなりませんでした。
二代目クリスチャン
僕の両親はクリスチャン一代目なのでそれぞれの両親の反対など何もかも捨てて神に従ったゴリッゴリの信仰者です。その一方で僕みたいな二代目は信じた時に何か捨てないといけないというものはほとんどありませんでした。信仰の戦いなしに信仰に入ったようなものだったのです。むしろ家族も教会もみんな大喜びしてくれたくらいです。こういう点では一代目と二代目は信仰面で全く異なる体験をしています。
だからと言って僕が楽に信仰してきたわけでもありません。二代目には二代目の悩みや苦悩があります。それでもやはり小さい頃から祈られて聖書の言葉を打ち込まれたという点においては恵まれ過ぎているとしか言いようがありません。
主体的に求める者になってほしい
話がだいぶそれましたが、僕の信仰の姿勢が変わった理由は「何としてもこの神様に出会う体験をこどもにしてほしい」という切実な願いが起こったからです。聖書を読めば誰でも神様の知識を得ることはできますが、神に出会う体験をしないと人生は正直変わりません。水を研究しても飲まなければ渇きを潤せない如く神を体験してこそ魂が生き返るのです。
僕はできるかぎりこどもが早い段階でイエス様に出会ってほしいと思っています。何よりも親が信じてるから信じるじゃなくて本人の意志で主体的に神に飢え乾いて求めることを祈っています。とは言いつつも大前提として、すべてのものは上から下に流れていくとすれば、まず、僕が常に時々刻々と神に飢え乾いて生きているかが問われます。
すべての人への願い
そして、その救霊の思いは自分の息子だけに留まりません。天の父はすべての人にご自身に出会ってほしいと強く願っておられます。そして、親密な愛の関係の中に入ってほしいと願っておられます。そのことについて本気で祈ることが求められていると強く感じています。