プルグラミング学習のコツ
プログラミング学習にはいくつかのコツがあると思います。その一つに「なぜ」を投げかける対象を明確にするというものがあると思います。例えば、なぜこのコードが動くのか?なぜこのロジックがだめなのか?などに対する「なぜ」は間違いなく成長に繋がります。その一方で、プログラミング言語やフレームワークなどに対して「なぜ」と思う場合は間違いなく成長しません。
たとえば、「このプログラミング言語はなぜこんな書き方をするんだ?」とか「このフレームワークではなぜこんな記述をしないといけないのか?」などを問うたところで全く意味がありません。なぜなら、そういう風に決められており、その枠組みやルールに従って書くだけだからです。
知るべきこと
プログラミング言語もフレームワークやライブラリもその仕組みを知る必要はありません。中身はブラックボックスでいいのです。ただ、どうすれば実現したいことができるのか?だけがわかればそれで問題ないのです。もちろん、中にはフレームワークの仕組みや構造を知りつくしている方もいるかもしれませんが、その知識はほとんど実装には必要のないものです。
必要なのはルールを知ることであり、つまり、公式ドキュメントがわかれば問題ないのです。
聖書も同じ
これは聖書にも同じことが言えるかもしれません。ある人は「神は本当に世界を7日で創ったのか?」とか「聖書に書いてある奇跡はうそっぱちだ」とかいう方がいるかもしれません。しかし、それも上述の件と全く同じです。聖書と言う枠組みやルールはもうすでに決まっているのだから、その中で信仰を働かせて取り組んでいくしかないのです。
聖書に対して「なぜなぜ」と言っている間は何も生まれません。もうそういうものだからしょうがないのです。むしろ聖書は神が書いた書物であり、人知では理解できないことがほとんどなので、そこで止まってしまったら、一向に前に進むことができないでしょう。
自分は神と共にどうなりたいのかに焦点を当てる
しかし、プログラマーが「どうすればやりたいことが実現できるのか?」に焦点を当てて公式ドキュメントを見てコードを書くように、人は「どうすれば神と共に歩むことができるのか?」といったところに焦点を当てて聖書を読んで生きるしかないと思います。