コロナ5類になって
コロナがインフルエンザ同様の5類に指定されてから、街中ではマスクをしていない人を多く目にするようになりました。飲食店などでもパーテーションを外して、以前のような大人数での飲み会がよく見られるようになっています。経済活動をコロナ前に戻すためには必要な措置だと思います。
ただ、不思議なことに電車の中では体感的には9割以上の方がしており、マスク着用が日本人に馴染んだのか習慣化されているようでした。僕個人は感染させない、しないを前提につけていますが、それよりも、自分の顔面の半分を隠せるので、マスク着用が日常化されたのはいいなと思っています。
マスク着用について
教会内でも各種制限をどうするか?が議論されていることでしょう。大前提として「世の中がこうだから教会もこうすべき」というのは違うと思います。教会は神の家族であり、聖書的には霊により結びあわされた家族以上の存在でもあります。だから自分の肉親の家族に対する以上の配慮が必要だと思うのです。
特に教会は高齢者が多いので、不安に思っておられる方は一定数以上はおられると思います。僕個人の考えは、「もし教会の高齢者がマスク着用がなくなることで、教会にいきたくないと思われる方が一人でもいらっしゃるなら、僕はマスクをつけてあげたい」と思っています。
マスクをつけると息がしにくいとか暑いとかいろいろなことをいう人がいますが、それは正直許容範囲内で特別な事情がない限りは我慢できることだと思います。教会こそみんなが一人のためにすべきだと考えています。
賛美する時
次に教会では讃美歌をみんなで歌うので、飛沫が非常におきやすい環境にあります。ようは何かあった時にクラスターが起きやすい場所になります。確かにマスクがあったら歌いにくし、大きな声で歌えないなどの障害があります。
しかし、実際はコロナのこの3年間のマスク生活で、それぞれ肺活量がかなり鍛えられたんじゃないかと思っています。マスクがあってもしっかり賛美することができるように訓練されたのです。つまり、マスクがあっても賛美はしっかりできるというのが僕個人の考えです。ですから、個人的には教会に高齢者が一人でもいるなら、賛美の時もマスク着用を継続したほうがいいんじゃないかと思っています。
高齢者の立場に立つ
こういった考えは、世の中の流れからいうと「保守的」かもしれません。しかし、教会じゃなくても高齢者施設などでは同様の対策は継続されています。ことコロナの対策に関しては、教会は高齢者の立場で対策を続けた方がいいと思いました。