ダビデVSゴリアテ
昨日の聖日礼拝では、ダビデがゴリアテと戦う場面から語られました。身長3メートル近くもある巨人が重さ50Kgの胸当てなどを装着してフル武装して戦いを挑んでくるのです。イスラエル民族の勇猛な戦士でさえもその挑戦に尻込みし、戦々兢々、イスラエルここに終わったかに思われました。
しかし、そんなゴリアテに果敢にも挑戦した者がいました。将来イスラエルの2代目の王となる少年ダビデです。彼は常日頃から、日常において、主の強力な助けを体験していました。なんと、ダビデは羊飼いをする中で、ライオンや熊などの獣を殺した経験があったのです。
つまり、ゴリアテよりも俊敏で巨大で凶暴で恐ろしい野生の動物にも勝ったことがあるので、主の力があれば、勝てる確信があったのです。
日頃使っている道具
かくして、ダビデは、ほぼ素手の状態でゴリアテに挑み、普段から使い慣れた石投げ一発でゴリアテを倒してしまったのです。ダビデの一連の行動と発言には多くの教訓が含まれています。
まず、彼は常日頃から使っている道具を用いて戦いました。つまり、戦争だからといって、剣や槍などはつかわなかったのです。ここから教えられることは、主は僕たちの日常のごく一般的な道具を用いて、主の働きをされ、主の栄光を現されるということです。
ハードからソフトまで様々な道具を使って仕事をしたりします。もし、主が共にいてくださるならば、そういった道具も主のお役に立つのです。普段の仕事はただ単に生きるためだけに働いているのではなくて、主が用いてくださるということはとても幸いなことだと思いました。
常日頃から主と歩む
次に、ダビデは、常日頃から主の大きな助けを体験していました。つまり、ワンチャンでゴリアテに挑戦したわけではなく、もっと強大な敵であるライオンや熊などをやっつける経験をしていたのです。
ともすると、特に僕の場合は、ワンチャンでリバイバルが起こって、主の福音が急速に広がっていくことを願ったりしています。もちろん、それは間違っていないかもしれませんが、まずすべきことは、ダビデと同じように常日頃から主と共に生活し、目の前にいる人に対して福音を語り、戦うことだと思いました。
主の戦いであるという信仰
最後に、ダビデはこの戦いを「主の戦い」と宣言しました。戦うのはダビデです。敵に立ち向かうのもダビデです。石投げを取り出して、照準をゴリアテに当てて外さないようにするのもダビデです。主の戦いであれば、主が天から炎を降り注いで、ゴリアテを瞬時に燃やし尽くす方法でもいいと思います。
しかし、主の方法が、人間との共同作業であり、特に信仰によって行動するということを求められるのです。
日々生活する中で、主の助けを祈りつつも、交渉の電話をしたり、打ち合わせをしたり、謝ったりしないといけないのは自分です。しかし、信仰によってその一つ一つを主により頼んで、していくときに、主は必ず助けてくださり、栄光を現してくださるのだと思います。