身近であり、遠くありつづける宇宙
元ZOZO社長の前澤さんが宇宙に行って非常に注目されていましたが、著名人であれ、長期の特別な訓練を受けた人でない一般の人が宇宙に行くことの象徴的存在になったような気がしました。アポロの月面着陸の衝撃はリアルタイムで体験できなかった世代ですが、生まれたときから宇宙はすでに身近な話題でありました。以前と比べると民間企業でもロケットを打ち上げることも可能になり、機体に広告を掲示するなど本当に面白い試みだと思います。
これから、著名人が宇宙に行くことが当たり前になると思いますが、庶民レベルが旅行の感覚で宇宙に行けるようになる頃には、僕は体力的に行けないだろうなと思っています。
新天新地
先日も、地球とほぼ同じ環境である可能性の高い惑星が見つかったとニュースがありました。その真偽のほどは置いておいて、こういったニュースが注目される理由に、一つは多くの人にとって、地球がすでに回復不可能な状況におかれつつあると認識しているからだと思います。僕が小学生の頃からすでに行われている環境保護やリサイクルなどの施策は焼け石に水だったようです。
そういったレベルではとても無理なので、ここ数年で、ようやく企業の社会的責任としてSDGsという目標を掲げて、重い腰を上げたような感覚です。しかし、状況は楽観できるように思えません。発展途上国では人口が増加し続けており、食料という資源がすべての人に平等に分配されなくなる可能性が高いです。さらに、気候変動を原因としたと言われる災害も、規模、頻度ともに高まっており、想定外が当たり前になっています。
新しい世界
こういった待ったなしの状態で、現状走らせている経済を後戻りさせることは困難なので、新天地を求めて、地球ににた環境の惑星などが注目されているのでしょう。しかし、聖書には地は滅びるであろうと書かれてあり、さらに、旧約聖書や新約聖書でも新天地が用意されていると書いています。
新天地には3つのないものがあります。一つは神殿です。イスラエル民族が神と出会うための場所であった神殿がなくなり、主なる神と御子なるキリストが神殿であると書いています。2つ目は夜です。新天地では、神の栄光が人々を照らし続けるので夜がないのです。最後は、のろいです。創世記3章から人類に霊的遺伝として引き継がれてきた罪の性質はすでに2000年前にイエス・キリストがすべてののろいを受けて、私達の代わりに刑罰を受けてくださいました。
たとえ、健康寿命が伸びたとしても、この肉体はいずれほろびます。違った惑星に望みをおくのではなく、神が用意してくださっている新しい世界に希望を寄せて生きたいです。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。
ヨハネの黙示録21:3